2015.02.20-Vol.0668
—————————————————————–
■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
—————————————————————–
★今日の名言★
=========================================
説明して相手がわからないのは、
相手にわかるように説明できない自分の力不足です。
常にそういう気持ちで話せば、
「私の説明が支離滅裂でした」
という言葉が自然と出てくるはずです。
<池上彰>
=========================================
◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇
支離滅裂(しりめつれつ)・・・
統一もなくばらばらに乱れて、筋道が立たないさま。
めちゃめちゃなこと。
=========================================
※喫煙室(雑談コーナー)
テレビや新聞・報道などマスメディアで大活躍の池上彰氏を知らない
人はいないだろう。
ニュース解説においては、氏の右に出る者はいないと言われるほど「
分かり易い解説」で定評がある。
池上氏は鋭い切り口で問題の本質を追求する反面、余り自分の意見を
前面に出すことは無いという。
この件については、「NHKの報道は客観的に公正、公平、中立でなけれ
ばならないと叩きこまれてきました。自分の意見は述べてはいけなか
ったんですね。NHKでずっとやってきたことが、民放テレビ局でビジネ
スとして成り立ったということですよね」と控えめに答えている。
ジャーナリストとしての池上氏の真骨頂ともいえる反骨精神が如実に
表れたのが「朝日新聞」への批判問題である。
池上氏自身がニュース解説のコラム「新聞ななめ読み」を連載してい
る「朝日新聞」の慰安婦問題の検証記事について、「朝日新聞は謝罪
するべきだ」とする批判記事の原稿を拒否された際に取った行動であ
る。
池上氏は、信念を曲げることなくコラム連載の中止を申し出たのであ
る。
この事件は反響が大きく、マスコミでも話題になり朝日新聞への批判
の渦が巻き起こることになる。
結果、朝日新聞は池上氏の原稿をそのまま掲載することになり、今年
1月から「新聞ななめ読み」の連載を続けることになったのである。
以下、池上彰氏の名言をご紹介したい。
「私は子供のころから就職して1~2年目まで、ずっと内気で引っ込
み思案でした。それがいまでは、国内外の様々な人に会って取材した
り、テレビに出たり。記者になって、存分に仕事をしたいという思い
が私を変えていきました。伝える力はいくつになっても伸ばすことが
できると強調したいです。」
「人は自分の話を聞いてもらうと、存外嬉しいものです。ましてや、
初めて会った人が自分の話を熱心に聞いてくれると、感動すら覚えた
りします。自分の話を聞いてくれる相手には当然、親しみを持つし、
好感度も増します。反対に、相手の話を聞くのも楽しいけれど、一方
的に聞かされると、苦痛になってしまいます。」
「話している内容が同じでも、伝える姿勢や態度によって、相手が受
ける印象は大きく異なります。たとえよいことでも、仏頂面で言って
は、相手は不愉快になるかもしれないし、自信なさげだったら相手の
心に届かないことも十分にあり得ます。」
「本は読みっぱなしにせず、実際に誰かに伝えてみることが一番有効
です。知識のない人間に、「そうだったのか!」と理解されるよう専
門情報を的確に簡便に伝えるのは案外難しいですよ。」
「教養を1人で身につけるにあたって、誰でもできるのは、本を読む
こと。読書です。NHKを辞めて独立したとき、肩書がない厳しさを
初めて味わいました。でもそのとき、記者時代に夜回りの合間などを
使って、本を読み、独学した英会話から経済学の古典に至るまでの様
々な教養が、自分の武器となりました。その後の執筆活動などにも大
いに役立ったのです。」
☆——————————☆
池上彰
池上 彰(いけがみ あきら、1950年8月9日 – )は、日本のジャーナリ
スト。東京工業大学教授、信州大学・愛知学院大学特任教授、京都造
形芸術大学客員教授、特定非営利活動法人「日本ニュース時事能力検
定協会」理事、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。
かつてはNHKで、社会部記者やニュースキャスターを歴任。記者主幹だ
った2005年で退職したことを機に、フリーランスのジャーナリストと
して各種メディアで活動している。
[来歴]
[生い立ち]
1950年、長野県松本市に生まれ、東京都練馬区で育つ。父親は銀行員
。子供の頃の愛読書は『クオレ』だった。小学生の時に、地方新聞記
者の活躍を描いた『続地方記者』(1962年、朝日新聞社)と出会った
事と、東京都立大泉高等学校在学中に、広島抗争に於いて暴力団と対
決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』(NETテレビ
(現・テレビ朝日))を観たことがきっかけで、記者を志すようにな
る。慶應義塾大学経済学部へ進学後、当時は学園紛争の真っ只中であ
ったが、自身が目の当たりにした紛争と、報道される内容とのギャッ
プに違和感を覚え、正しい報道をすべく実家の購読誌でもあった朝日
新聞社と、日本放送協会(NHK)への就職を希望した。しかし、「これ
からは、テレビの時代」と最終的に日本放送協会への入社を決める事と
なった。
[NHK時代]
1973年、日本放送協会(NHK)に記者として入局。同期にはアナウンサ
ーの宮本隆治、大塚範一がいる。入局当初から「初任地は小さな町で
」「通信部への転勤」を自ら希望し、松江放送局、広島放送局呉通信
部などで勤務した。1976年のロッキード事件ではNHKの全国各局から若
手記者が召集され、池上も松江放送局から取材の応援に加わった。ま
た、呉通信部勤務では取材中に暴力団に囲まれるという『ある勇気の
記録』さながらの体験もしたという。
1979年8月より東京放送局報道局社会部に異動し警視庁・気象庁・文部
省・宮内庁などを担当する。
1980年8月の新宿西口バス放火事件や、1982年2月のホテルニュージャ
パン火災、日本航空350便墜落事故、1983年5月に発生した日本海中部
地震でも、実際に事故や事件、震災の現場に自ら赴いた。1985年8月の
日航ジャンボ機墜落事故では、池上が都内で書いた第一報を当時の松
平定知が7時の定時ニュースで伝えている。この事故をテーマにしたド
ラマ『クライマーズ・ハイ』(2005年12月 NHK)で、劇中で使用され
た当時の実際のニュース映像中で取材中の池上を確認できる。
1989年4月から『ニュースセンター845』、1991年からは『イブニング
ネットワーク』のキャスターをそれぞれ担当する。前者では、番組の
最後に何気なくダジャレを交えることがあった。更に1994年から退職
する2005年まで『週刊こどもニュース』で、ニュースに詳しい「お父
さん」役として編集長兼キャスターを担当する。ニュースについての
解説本『これが「週刊こどもニュース」だ!』(2000年集英社文庫)も
注目を集めた。
2005年3月、定年前でNHKを退職しフリーランスのジャーナリストに転
進する。
<中略>
[人物]
読書や新聞スクラップ、地図収集が趣味で、海外に行くと必ずその国
の地図を購入する。下戸である。テレビ出演が多いが、「本が“本”
業」と述べており、「本“も”書いている」よりも「テレビ“にも”
出ている」と言われる方が嬉しいという。
宗教関連の本を多く執筆している。その本人は仏教徒であり、海外に
行く時は自らをそう名乗るという。
インターネットについては、情報収集の目的で積極的に活用する一方
で、比較的自身の露出には消極的な姿勢を取っている。『週刊こども
ニュース』のディレクターだった杉江義浩が運営する「池上彰ファン
クラブ」および同クラブの公式ウェブサイトを公認したり、インター
ネット向けにコラムを掲載したり、近年ではニコニコ生放送に出演す
るなど、表現の場として裾野は広げているが、個人として、公式ブロ
グやTwitter・Facebookの公式アカウント等は一切持っていない。その
一方で、中東調査会の会員として、同会を通じて得た中東関連の情報
を、解説や執筆の参考にしていることを『池上彰の経済教室』(テレ
ビ東京)などで明かしている。
ドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉「両側から燃え尽
きるロウソクでありたい」を座右の銘としている。「全力でいろいろ
なことに当たりたい」という意味である。
NHK記者時代から、一貫して「難しく思われがちな社会の出来事を、な
るべく分かりやすく噛み砕く」というスタンスを持っており、ニュー
スや自著、番組内でのコメントなどでも、それはうかがえる。ほかに
も「国際問題は地図を見れば分かる」「歴史にif(イフ、意:もしも
)はない」という持論を繰り返し唱えている。『そうだったのか!池上
彰の学べるニュース』において、右翼・左翼といったデリケートな用
語の解説を行ったり、2010年の参議院選挙の特別番組『池上彰の選挙
スペシャル』において、日本遺族会や創価学会、日本教職員組合、全
特といった支持母体を取り上げたりしたこともある。
大平正芳を、特徴的な口調の「アー、ウー」を除いて記録すると、理
路整然とした文章となることを理由に、歴代で最も聡明な総理大臣と
して挙げている。また細川護熙首相であった当時、自らと同じく、新
聞スクラップが趣味であることに親近感を抱いていた。
朝日新聞阪神支局襲撃事件については、「政治や社会のあり方を批判
するのは、日本を良くしたいから。それを「反日」って何? 怖い時代
に入りつつあるのかな、と思ったよね」と、インタビューに答えてい
る。2008年5月3日の「第21回言論の自由を考える5・3集会」(朝日新
聞労働組合主催)では司会を務めた。
「売国」という言葉については、「日中戦争から太平洋戦争にかけて
、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論
封殺の一環です」とし、少なくとも言論報道機関は使うべき言葉では
ないとしている。
[時事ニュース解説]
ニュース解説で多用する「いい質問ですねぇ!」は2010年、ユーキャン
の主催する「新語・流行語大賞」の上位10位入りした。池上によると
、この言葉が使われるケースは2つあり、1つは番組の流れ上、本来解
説したい話題から離れてきている時に、本筋に戻せるような質問がさ
れた時。もう1つは、質問そのものによって、池上自身がそのニュース
に対しての認識を新たにする場合である。梶原しげる(文化放送出身
のフリーアナウンサー)も、「素朴な疑問を投げかけてくれた聞き手
への感謝の言葉である」と分析している。
また梶原は、池上の話術の特徴として、「『アメリカは強いなあ』と
北朝鮮は心配した」などさまざまなものを擬人化した上で直接話法を
多用していること、さらに聞き手の好奇心を刺激し解説に引き込ませ
るために質問したくなる話を用意していることなどを挙げている。
自身の人気については「単なるバブル」と冷静に捉えつつも、「ニュ
ースを知ろうとするきっかけになったのであれば望外の喜び」として
いる。テレビでの解説は、最大公約数的にならざるを得ず、深く掘り
下げられないことは、本を執筆する動機になるとしている。テレビで
の解説は「起承転結」で言うところの「結」を最初に持ってくること
で、移り気な視聴者の興味を引くようにしているのに対し、講演会で
はじっくり聞いてもらうため、起承転結の通りに話すと述べている。
知人が検察審査会に選ばれた時に、その知人に頼まれて検察審査会に
ついて、本人曰く「テレビでやってるのと同じ」解説をした。これを
聞いた、劇団ひとりに「池上さん、プライベートでも解説してるんで
すか!?」と言われた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※「ウィキペディア」の記事には非常に曖昧な表現を使った単なる言
葉の羅列のような表現が見られるものもあり、今回の池上彰氏の人物
評は非常に纏まりのない文章に見受けられる。どなたが書いたのであ
ろうか?池上氏の了解のもとで書かれているのだろうか?
——————————
★☆「keiko通信 from NewYork」☆★
「ジャパンウィーク2015」
グランドセントラル駅構内のバンダービルトホールでジャパンウィー
クが20日まで開催されています。
これは日本政府観光局が主催するプロモーション・イベントで日本文
化をニューヨーカーに知ってもらおうと企画されたものです。
3月に開通する北陸新幹線の紹介や日本独自の「デパチカ」スイーツ、日
本式結婚式の紹介、日本酒が好きな方が楽しめる酒バーに人気は集中。
そして1組のカップルに日本行き航空券が当たる抽選は誰もが望むとこ
ろです。
レストラン「酒蔵」では日本の銘酒が200種、お猪口で日本酒を飲む粋
なアメリカ人男性の姿は日本人に勝るとも劣らず素敵です。
Keiko
★ちょっと一言!
※皆さん、お元気ですか?
北海道の旭川にもやっと春の気配が感じられる季節になりました。
今でもインフルエンザが流行っているそうです。
2~3月と出張が多くなります。
メルマガ、続けられるように頑張りま~す。
私も源太も風邪をひきません!?
源太は我が家の愛犬です。