日本人の名言 芥川龍之介

愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない・・・ / 芥川龍之介

投稿日:2021年3月19日 更新日:

2021.03.19-Vol.0988
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★今日の名言★
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 愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。

              <芥川龍之介>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

路傍(ろぼう)・・・道路のかたわら。みちばた。路辺。

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※喫煙室(雑談コーナー)

中学生の時に感想文を書いた題材が「蜘蛛の糸」だった。

内容はもうすっかり忘れているが、妙にこの児童向けの作品だけは記憶
に鮮明に残っている。

仏教的な説話をモチーフにして描いたという「蜘蛛の糸」は、非常に短
い短編小説だが、様々な教訓を私達に与えてくれる。

要約を転載して今日の名言に代えさせていただく。

         ☆—————————————-☆

★あらすじ★<Wikiより>

釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。
罪人どもが苦しんでいる中にカンダタという男を見つけた。

カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成
したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を
助けたことだった。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出して
やろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。

暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは、この糸を登れ
ば地獄から出られると考え、糸につかまって昇り始めた。

ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下か
ら続いてくる。このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタ
は、下に向かって大声で「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「
下りろ。下りろ。」と喚いた。その途端、蜘蛛の糸がカンダタの真上の
部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダ
タを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮
池から立ち去った。

         ☆—————————————-☆

芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 –
1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂
主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼。

その作品の多くは短編小説である。また、『芋粥』『藪の中』『地獄変
』など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとっ
たものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』といった児童向けの作品も書い
ている。

[生涯]

東京市京橋区入船町8丁目(現・東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業
を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。姉が2人いたが、長姉は、
龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。

生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉
町(現・東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母
のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に叔父・芥川道
章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗ることになった。旧家の
士族である芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕えた奥坊主(御用部屋坊
主)の家である。家中が芸術・演芸を愛好し、江戸の文人的趣味が残っ
ていた。

なお、「龍之介」の名前は、彼が辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれた
ことに由来すると言われているが、出生時刻については資料がないため
不明である。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家である芥
川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になって
いる。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌った。

1898年(明治31年)、江東(こうとう)尋常小学校入学(芥川卒業後、
「江東」は「えひがし」と読むようになる。現在の墨田区立両国小学校
)。東京府立第三中学校を卒業の際に「多年成績優等者」の賞状を受け
、第一高等学校第一部乙類に入学。1910年(明治43年)に中学の成績優
秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、芥川はその選に入る。

同期入学に久米正雄、松岡讓、佐野文夫、菊池寛、井川恭(のちの恒藤
恭)、土屋文明、渋沢秀雄らがいた。2年生になり一高の全寮主義のため
寄宿寮に入るが、芥川は順応することはなかったという。寮で同室とな
った井川は生涯の親友となる。井川は第一高等学校一覧によると、1年か
ら3年まで常に芥川の成績を上回っている。1913年(大正2年)、東京帝
国大学文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人の
みしか合格者を出さない難関であった。

東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月、一高同期の菊池寛、久米正雄
らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。まず「柳川隆之助」(隆
之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名でアナトール・フラ
ンスの『バルタザアル』、イエーツの『春の心臓』の和訳を寄稿したあ
と、10月に『新思潮』が廃刊にいたるまでに同誌上に処女小説『老年』
を発表。作家活動の始まりとなった。このころ、青山女学院英文科卒の
吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で
断念する。1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「
芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表。

1916年(大正5年)には第4次『新思潮』(メンバーは菊池、久米のほか
松岡譲、成瀬正一ら5人)を発刊したが、その創刊号に掲載した『鼻』が
漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番
の成績で卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。

同年12月、海軍機関学校英語教官を長く勤めた浅野和三郎が新宗教「大
本(当時は皇道大本)」に入信するため辞職する。そこで畔柳芥舟や市
河三喜ら英文学者が、浅野の後任に芥川を推薦(内田百閒によれば夏目
漱石の口添えがあったとも)、芥川は海軍機関学校の嘱託教官(担当は
英語)として教鞭を執った。そのかたわら創作に励み、翌年5月には初の
短編集『羅生門』を刊行する。その後も短編作品を次々に発表し、11月
には早くも第二短編集『煙草と悪魔』を発刊している。

1918年(大正7年)の秋、懇意にしていた小島政二郎(『三田文学』同人
)と澤木四方吉(『三田文学』主幹で西洋美術史家)の斡旋で慶應義塾
大学文学部への就職の話があり、履歴書まで出したが、実現をみなかっ
た。1919年(大正8年)3月、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞
社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する
。ちなみに師の漱石も1907年(明治40年)、同じように朝日新聞社に入
社している。

1919年(大正8年)3月12日、友人の山本喜誉司の姉の娘、塚本文(父塚
本善五郎は日露戦争において戦艦「初瀬」沈没時に戦死)と結婚。菊池
寛とともに大阪毎日の客外社員となり、鎌倉から東京府北豊島郡滝野川
町に戻る。同年5月には菊池とともに長崎旅行を行い、友人の日本画家・
近藤浩一路から永見徳太郎を紹介されている。

1921年(大正10年)3月、海外視察員として中国を訪れ、北京を訪れた折
には胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合いなどを
行い、7月帰国。『上海遊記』以下の紀行文を著した。

この旅行後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う
。1923年(大正12年)には湯河原町へ湯治に赴いている。作品数は減っ
ていくが、このころからいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作
品が現れ、この流れは晩年の『歯車』『河童』などへとつながっていく。

1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生し、各地で自警団が形成
された。芥川も町会(田端)の自警団に、世間体もあり病身を押して参
加した。随筆『大震雑記』やアフォリズム『或自警団員の言葉』に自警
が言及される。また震災後の吉原遊廓付近へ芥川と一緒に死骸を見物し
に出かけた川端康成によると、芥川は悲惨な光景のなかを快活に飛ぶよ
うに歩いていたという。

1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生。

1922年(大正11年)11月8日、次男芥川多加志、誕生。

1925年(大正14年)7月12日、三男芥川也寸志、誕生。

1925年(大正14年)ごろから文化学院文学部講師に就任。1926年(大正
15年)、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が高じ、ふたたび湯河原で療養。一
方、妻・文は自身の弟・塚本八洲の療養のため鵠沼の実家別荘に移住。
2月22日、龍之介も鵠沼の旅館東屋に滞在して妻子を呼び寄せる。7月20
日には東屋の貸別荘「イ-4号」を借り、妻・文、三男・也寸志と住む。
夏休みに入り、比呂志、多加志も来る。7月下旬、親友の画家小穴隆一も
隣接する「イ-2号」を借りて住む。

この間、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』、さらに『点鬼簿』を脱
稿。堀辰雄、宇野浩二、小沢碧童らの訪問を受ける。また、鵠沼の開業
医、富士山(ふじ たかし)に通院する。9月20日、龍之介、文、也寸志
は「イ-4号」の西側にあった「柴さんの二階家」を年末まで借りて移る
。ここで鵠沼を舞台にした小品『悠々荘』を脱稿。これは、震災前に岸
田劉生が住み、震災後に建て直されて国木田虎雄(国木田独歩の息子で
詩人)が借りていた貸別荘を視察したときの経験がヒントのようで、龍
之介一家が鵠沼に永住する意図があったとも考えられる。

また、この間、斎藤茂吉、土屋文明、恒藤恭、川端康成、菊池寛らの訪
問を受けている。元号が昭和に変わってから、妻子は田端に戻り、龍之
介は「イ-4号」に戻った。甥の葛巻義敏と鎌倉で年越しをしてから田端
に戻るが、鵠沼の家は4月まで借りており、時折訪れている。

1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺
の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金
や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「物語の面白さ」を主
張する谷崎潤一郎に対して、『文芸的な、余りに文芸的な』で「物語の
面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメ
インストリームを予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で
芥川は、「話らしい話のない」純粋な小説の名手として志賀直哉を称揚
した。このころ、芥川の秘書を勤めていた平松麻素子(父は平松福三郎
・大本信者)と帝国ホテルで心中未遂事件を起こしている。

7月24日未明、『続西方の人』を書き上げたあと、斎藤茂吉からもらって
いた致死量の睡眠薬を飲んで服毒自殺した。享年36〈数え年〉、満35歳
没。服用した薬には異説があり、たとえば山崎光夫は、芥川の主治医だ
った下島勲の日記などから青酸カリによる服毒自殺説を主張している。
同日朝、文夫人が「お父さん、よかったですね」と彼に語りかけたとい
う話もある。戒名は懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都豊島区巣鴨
の慈眼寺。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芥川龍之介の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「夏時間」

14日、日曜日の夜中に時計を1時間進めて夏時間になりました。
冬時間の時、日本との差は14時間ですが、今は13時間です。
夏時間になる時いつも私は睡眠時間を損したように感じてしまいます。

ワクチン接種が始まり数か月、接種場所もたくさん開設、予約をすれば
接種が受けられるのでマスクなしで街を歩いている人の姿があちこちで
見られるようになりました。

2回目の接種を受け2週間すればマスクなしで過ごせる等信じてもよいも
のでしょうか。

                Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

今日は肺癌のPET検査など色々な検査が待っています。今日と22日の精密
検査の結果で癌のステージが決まり治療方針が決まるそうです。検査結
果が出るまでには1週間くらいかかりそうです。

颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

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ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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