日本人の名言 渋沢栄一

富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳・・・ / 渋沢栄一

投稿日:2021年2月26日 更新日:

2021.02.26-Vol.0985
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★今日の名言★
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 富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。

  正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。

              <渋沢栄一>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

仁義(じんぎ)・・・

(1)いつくしみの心と同義に適った方法。仁と義。
(2)人の踏み行うべきみち。世間の義理。人情。
(3)江戸時代に、博徒・職人・香具師(やし)仲間に行われた親分・
   子分の間の道徳および初対面の挨拶。現在も露店商人・遊び人な
   どの間で行われる。

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※喫煙室(雑談コーナー)

日本初の銀行を設立し、「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一が注
目されている。

おりしも2月14日からNHK大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の物語が
放映され始めた。第一回目の「青天を衝け」を途中まで見たが、コロナ
禍の大変な中で撮影もご苦労されているのだろう。しかし、予想通り何
かこれから大きな出来事が起こりそうな予感がして非常に楽しみにして
いる。

2024年に発行される新1万円札の肖像画にも選ばれた渋沢栄一だが、今こ
の状況で見直されているのには訳があるはずである。

これからじっくりと、どんな生涯を送ったのか、そしてどんな脚本なの
か・・・楽しみは尽きない。

以下、NHKより「青天を衝け」の解説をそのまま転載させていただく。
さて、今後の展開はいかに?

官尊民卑の世は、承服できん! 百姓からの脱却を決意。

天保11年(1840)、武蔵国・血洗島村。藍玉づくりと養蚕を営む百姓の
家に、栄一は生まれた。おしゃべりで物おじしないやんちゃ坊主は、父
・市郎右衛門の背中に学び、商売のおもしろさに目覚めていく。

ある日、事件が起きた。御用金を取り立てる代官に刃向かったことで、
理不尽に罵倒されたのだ。栄一は官尊民卑がはびこる身分制度に怒りを
覚え、決意する。「虐げられる百姓のままでは終われない。武士になる
!」。

目指せ、攘夷の志士! ところが計画中止、追われる身へ……。

千代と結婚した栄一は、従兄の惇忠や喜作と共に、尊王攘夷に傾倒して
いく。江戸で仲間を集め、横浜の外国人居留地を焼き討ちする攘夷計画

を企てた。しかし、京の情勢に通じた従兄の長七郎の猛反対にあい、あ
えなく断念。逆に幕府に追われる立場となり、喜作と共に京へ逃げる。

彼らに助け船を出したのは、一橋慶喜の側近・平岡円四郎だ。幕府に捕
らわれて死ぬか、一橋の家臣となるか。「生き延びればいつか志を貫け
る」。この選択が、栄一の運命を変えていく。

心ならずも幕臣に。パリ行きが人生を開く!

栄一は一橋家の財政改革に手腕を発揮し、慶喜の信頼を得る。ところが
、慶喜が将軍となり、倒幕を目指すどころか幕臣になってしまった。

失意の栄一に、転機が訪れる。パリ万国博覧会の随員に選ばれたのだ。
慶喜の弟・昭武とパリに渡った栄一は、株式会社とバンクの仕組みを知
り、官と民が平等なだけでなく、民間が力を発揮する社会に衝撃を受け
た。そんな折、日本から大政奉還の知らせが届き、無念の帰国へ……。

まさかの新政府入りで、続々改革。33歳でいよいよ民間へ。

帰国後、様変わりした日本に衝撃を受けた。静岡で隠棲する慶喜と再会
した栄一は、身をやつした姿に涙し、慶喜を支えることを決意する。

しかし突然、明治新政府から大蔵省への仕官を命じられて上京。「改正
掛」を立ち上げ、租税・鉄道・貨幣制度など次々と改革を推し進めるこ
と3年半。栄一はある決意を胸に辞表を提出した。

この時、33歳。いよいよ、栄一の目指す民間改革が始まるのだった……

         ☆—————————————-☆

渋沢栄一

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、旧字体:澁澤 榮一、天保11年2月13日
〈1840年3月16日〉 – 昭和6年〈1931年〉11月11日)は日本の武士、官僚
、実業家、慈善家。位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せ
いえん)。

[概説]

江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明
治政府では、民部省を経て直属の上司である大蔵大輔・井上馨の下で大
蔵少輔・吉田清成等と共に造幣・戸籍・出納等様々な政策立案を行い、
初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。井上馨と
共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商
法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な
会社、経済団体の設立・経営に関わり、同時に東京養育院等の福祉事業
、東京慈恵会等の医療事業、商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学
校(現・東京経済大学)等の実業教育、東京女学館等の女子教育、台湾協
会学校(現・拓殖大学)の設立、二松學舍(現・二松学舎大学)第3代
舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援
、民間外交の実践等にも尽力した。それらの功績を元に「日本資本主義
の父」と称される。また「論語と算盤」の言葉で代表される、道徳経済
合一の思想でも広く知られている。

花柳界でも知られ、妾との間に一説には50人とも云われる子供を作って
いる。また、伊藤博文の幕末時の暗殺を暴露した人物でもある。

[経歴]

<誕生、郷里にて 1840年~>

天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血
洗島)に父・渋沢市郎右衛門元助(1810年 – 1871年)、母・ゑいの長男
として生まれた。幼名は栄二郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎を名
乗る。

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける
富農だった。原料の買い入れから製造、販売までを担うため、一般的な
農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。栄一も、
父と共に、信州や上州まで製品の藍玉を売り歩くほか、原料の藍葉の仕
入れ調達にも携わった。14歳の頃からは単身で藍葉の仕入れに出かける
ようになり、こうした経験がヨーロッパ視察時に、近代的な経済システ
ム、諸制度を理解吸収する素地となり、また後の現実的な合理主義思想
の形成にも繋がったともいわれる。

一方で5歳の頃より父から漢籍の手ほどきを受け、7歳の時には従兄の尾
高惇忠の許に通い、論語を始め四書五経や日本外史を学ぶ。剣術は元川
越藩剣術師範で近隣に在郷の大川平兵衛より神道無念流を学んだ。安政
3年(1856年)16歳の時、領主代官のいる岡部陣屋で御用金の上納を命じ
られ大いに反発したと伝わる。安政5年(1858年)には惇忠の妹で従妹に
あたる尾高千代と結婚。

<尊攘派志士から、一橋慶喜の家臣へ 1861年~>

文久元年(1861年)には江戸に出て海保漁村の門下生となる。また北辰
一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門し、剣術修行
の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。その影響から尊皇攘夷の思想に目覚め、
文久3年(1863年)従兄で義兄の尾高惇忠、同じく従兄の渋沢喜作らと、
高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜外国人居留地を焼き討ちにしたの
ち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてる。しかし、惇忠の弟・
尾高長七郎(従兄弟)の懸命な説得により中止する。

親族に累が及ばぬよう父より勘当を受けた体裁を取って、従兄の喜作と
連れ立って京都に出るが、八月十八日の政変直後であったため、勤皇派
が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、江戸遊学の折より交際のあ
った一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる
。当時、慶喜は朝議参与として京都に常駐していた。仕官後、慶喜が朝
廷から禁裏守衛総督を拝命するが、御三卿は自前の兵力を持っていない
為、兵力調達が急務となり、栄一が一橋家領内を巡回し農兵の募集で手
腕を発揮した。

<幕臣となりヨーロッパへ 1867年~>

慶応2年(1866年)12月、主君の慶喜が将軍となったことに伴って幕臣と
なる。パリで行われる万国博覧会(1867年)に将軍の名代として出席す
る慶喜の異母弟・徳川昭武(後の水戸徳川家11代当主)の随員として御
勘定格陸軍付調役の肩書を得て、フランスへと渡航する。パリ万博を視
察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的
な産業・諸制度を見聞すると共に、近代社会の在り様に感銘を受ける。

フランス滞在中に、幕府における役職は御勘定格陸軍付調役から外国奉
行支配調役となり、その後開成所奉行支配調役に転じている。パリ万博
とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学する予定であった
が、大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)5月には新政府から帰国を命じ
られ、昭武と共に9月4日(1868年10月19日)にマルセイユから帰国の途
につき、同年11月3日(12月16日)に横浜港に帰国した。

<静岡藩、民部省・大蔵省時代 1869年~>

帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し「これからはお前の道を行き
なさい」との言葉を拝受するも、旧恩に報いるため静岡にとどまり静岡
藩に出仕した。静岡ではフランスで学んだ株式会社制度を実践すること
や、新政府からの借入金返済のために、勘定頭の平岡準蔵に相談し、明
治2年(1869年)1月には商法会所を設立した。この商法会議所では銀行
的業務と物産販売を兼ね、小野組糸店を担う古河市兵衛に取り扱いを依
頼することもあった。

1869年(明治2年)10月、明治新政府からの招状が静岡藩庁に届き、渋沢
は大久保一翁に相談し東京へ向かうと民部省租税正の辞令書を受ける。
一度は辞任を決意するも、大隈重信らの説得で11月に出仕。民部省内に
改正掛が置かれると掛長となり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携
わった。明治4年(1871年)年7月27日に民部省が大蔵省に統合されるこ
とに伴い、芳川顕正紙幣頭の下で大蔵権大丞となり、次いで大蔵大丞と
なる。

1872年(明治5年)には大蔵省三等出仕となり、紙幣寮の頭に就任(同三
等出仕は上野景範)。大蔵大輔井上馨や大蔵少輔吉田清成と連携して造
幣寮の事務に勤しみ、また、ドイツで印刷された明治通宝(通称ゲルマ
ン紙幣)を取り扱ったが贋札事件の発生も少なくなかった。しかし、予
算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、1873年5月7日、大蔵
大輔井上馨や大蔵少輔吉田清成と共同で財政改革意見を建議し、建議書
を『日新真事誌』などに掲載し論議を喚起した。明治6年(1873年)5月
14日に井上馨と共に退官した。

この間、旧幕府側で戦い投獄されていた、従兄の渋沢喜作の出獄を引受
、大蔵省への仕官を世話し、養蚕製糸事業調査の名目でヨーロッパ視察
に送り出している。同じく戊辰戦争を幕府側で戦った従兄の尾高惇忠に
は富岡製糸場の初代場長として事業立ち上げを託している。

<実業家時代 1873年~><以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

渋沢栄一の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「コロナワクチン接種」

日本もコロナワクチン接種が始まりましたね。
受けたい派ですか、受けたくない派ですか?

アメリカは医療従事者、運転手、教師、レストラン関係者、高齢者・・
が早く受ける権利がありネットで予約を入れ指定場所へ、予約時間より
早く到着してはいけません。

アメリカではレストランの従業員が接種を拒否して解雇されました。
彼女は「これから妊娠を希望しているから」というのが理由。

オーナーは「接客業は危険が伴う、お客を守るために接種をしてほしか
った」と・・

ワクチン接種は望みませんが、私は今後の状況次第で考えようと思いま
す。
               Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。
相変わらず、毎日の除雪作業で心も体もクタクタ状態です。

旭川では4月から65歳以上の方にワクチン接種が始まるようです。まだま
だ先の話ですが、勿論私は受けるつもりです。悩まれている方も多いの
でしょうね?妊婦さんや持病をお持ちの方は病院の先生とよく相談して
決めてくださいね。

颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
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あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

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ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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