アルフレッド・アドラー 外国人の名言

誰かが始めなければならない・・・ / アルフレッド・アドラー

投稿日:2021年2月19日 更新日:

2021.02.19-Vol.0984
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 誰かが始めなければならない。

  他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。

 私の助言はこうだ。

  あなたが始めるべきだ。

   他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

              <アルフレッド・アドラー>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

協力(きょうりょく)・・・ある目的のために心をあわせて努力すること。

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※喫煙室(雑談コーナー)

★偉大な発見や改革には常に多くの人の知性による協力が不可欠である。
 <アレキサンダー・グラハム・ベル>

★人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。
 他人から愛され、
 協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。
 そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。
 <本田宗一郎>

★自分から先に協力してあげれば、
 その人も自分に協力してくれるようになる。
 <ナポレオン・ヒル>

先日、こんなことがあった。

北海道の冬は長く大変なことも多いが、毎冬一度は(丁度雪が緩む今の
時期から)車が埋まって動けなくなることがあるのだ。

もう何十年も北海道の冬を過ごしてきたが、決して車の運転が下手なわ
けではないと思っているのだが、先日は不覚にも深く埋まってしまい前
にも後ろにも全く動けなくなってしまったのだ。

少し横道に入るとアチコチで車が埋まり大変なことになっている。

帰宅途中で、埋まらないように慎重に運転していたつもりだったが、た
またま角地に車が埋まっており、入ってしまった道の反対側の角にも他
の車が埋まってしまったのだ。

どちらに行くすべもなく、道路の真ん中で進行方向を変えようとした途
端にザクザク道路に乗り上げてしまいあえなくダウン。

幸い、すぐ近くで除雪していた方がスコップを持ってきてくれたが、ど
うにもならないほど深く埋まってしまったのだ。

前輪後輪が空回りしているだけならタイヤの付近を削るだけで良いのだ
が、車体の真ん中が雪や氷でつかえてしまうとどうにもならないのだ。

2町ほど先にある我が家にスコップを取りに帰り、私も車の下の雪を掻き
出したがなかなか動かない。

片方の角地に埋まっていた方は自力で脱出できたようだ。

先に反対側に埋まっていた車を先に出してやることにした。私もスコッ
プを持って駆けつけ何とか出してやることが出来た。

次に私の車だが、助けてやった年配の男性の方はすぐにどこかへ行って
しまったのが残念だが、救う神ありで、近所の方だろうか4~5人ほど駆
けつけてくれて何とか脱出することが出来たのだ。

旭川の毎年の光景である。困っていると必ず誰かが助けてくれる。

感謝のお礼を述べてその場を去ったが、何とも言えない心の温まる出来
事だった。

皆さんの協力に感謝!

         ☆—————————————-☆

アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler(アルフレート・アドラー)、
1870年2月7日 – 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心
理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ
・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。

初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロ
イトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決
別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。

[生涯]

1870年2月7日、ウィーンの郊外ルドルフスハイム(ドイツ語版)で、ハ
ンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母との間に
生まれた。アドラーが育った家庭はユダヤ人の中産階級に属していて、
父親は穀物商を営んでおり、母親は夫の仕事を手伝う勤勉な主婦だった
。アドラーは6人兄弟の次男で、上に2歳上の兄がいた[1]。アドラーは、
このような大家族の中で育ったことが自身のパーソナリティの成長と、
後に独自の理論を発展させる基盤になったことを認めている。

[医師キャリア]

アドラーは幼い頃に、声帯のけいれんとくる病に苦しんだ。また、3歳下
の弟が生後1年でジフテリアで死んだこと、何よりアドラー自身が4歳頃
に肺炎にかかって危うく死にかけたことが、医師を志す動機となった。
ギムナジウムを経て1888年にウィーン大学の医学部へ入学、1895年に卒
業すると、ユダヤ人が多く中下層階級の人が多く住むウィーン2区レオポ
ルトシュタットで眼科医、のちに内科の診療所を始めた。

彼の患者は概して裕福ではなく、診療所がプラーター遊園地の近くにあ
ったので、遊園地で働く空中ブランコ乗りなどの軽業師や大道芸人など
、自分の身体能力で生計を立てている人が多かった。その中には、幼い
頃には身体が弱かったのにそれを努力によって克服して逆にその弱かっ
た部分を強くしたり活かしたりしているのも少なからず存在したため、
後に「器官劣等性」と呼ぶことになるアイディアについて考え始める切
っ掛けとなり、これはアドラーが「補償」「過補償」の理論を発展させ
るのに役立った。また私生活では1897年に、ロシア系ユダヤ人のライザ
・ティモフェヤーニャ・エプシュタインと結婚した。

1898年、アドラーは最初の著作となる『仕立て業のための健康手帳』を
刊行した。アドラーは、あくまで医学の正しい知識を通じて社会をより
よくしようと考えていたので、当時沸騰していた政治運動とは一線を画
していた。1902年にジークムント・フロイトから招かれてフロイトの研
究グループに参加し、これが彼と精神分析との関わりの始まりとなる。

1907年に処女作の『器官劣等性の研究』を上梓、1910年にウィーン精神
分析協会の議長に就任し『精神分析中央雑誌』の編集長を務めた。しか
しこの頃からフロイトと意見を異にすることが多くなり、1911年にアド
ラーは主だった仲間と共に自由精神分析協会を設立(1913年に個人心理
学会へと改称)。フロイトらの学説とは完全に一線を画し、翌1912年に
『神経質について』を出版した。

第一次世界大戦では1916年から軍医として従軍し、戦争と大勢の負傷者
・とりわけその中でも神経症の患者を大勢観察する中で、アドラーは共
同体感覚こそが何にもまして重要であることを見出し、大戦終了後に共
同体感覚を個人心理学の最新の基礎として語り始める一因となる。

[教職へ従事]

終戦の混乱から新しいオーストリアの建設が目指される中で、アドラー
は生涯でただ1度だけ政治活動に関わることになった。ウィーン1区の労
働者委員に就任して教育改革に従事し、その一環として1922年に児童相
談所を設立している。1920年代にはアドラーは、教育、医学、心理学、
ソーシャル・ワークなどを含む学際的な努力を通じて、子どもたちの精神
的な健康のために革新的な考えを持つ心理学者として知られるようにな
っていた。アドラーは親や教師を含む多くの非専門家の聴衆に対して精
神医学や心理学の知識を伝えていった。アドラーは診療所での診療の他
に、児童相談所やフォルクスハイム(ドイツ語版)で講義を行い、1924
年にはウィーン教育研究所治療教育部門の教授に就任した。

アドラーは絶え間ない診療、頻繁なる講演、著作活動、スーパーヴァイ
ズ、そして夜な夜な友人や仲間とカフェで議論をかわしていて、多忙を
極めた。なぜなら、家庭と学校において、子どもの教育についての効果
のある新しい方法が求められていたからである。アドラーは、仕事のペ
ースを緩めることなく精力的に活動し、その名声は年々国際的に高まっ
ていった。

1926年末に初めてアメリカ合衆国へ数ヶ月にわたる講演旅行に訪れ、大
成功を収める。新聞は個人心理学について詳細に、そして讃美にあふれ
た記事を書くまでになっていた。これ以降、アドラーは1年の半分ずつを
ヨーロッパ大陸と北米大陸とで過ごし、カウンセリングと講演で大陸各
地を廻る生活が続いた。アメリカでの活動の拠点は、長らくニュースク
ール大学での連続講演だったがつまり、ニュースクールでの講演とは別
に、医学生に対しても教育を行うようになったのである。また、教育診
療所の評判も上々だった。

[アメリカ移住]

世界大恐慌以降のオーストリアでは、政治が不安定となった。一方アメ
リカでは、1932年にロングアイランド医科大学の医学心理学招聘教授に
任命され、大学付属の教育診療所の指導も任され、『人生の意味の心理
学』を刊行した。1934年にオーストリアでドルフース首相のクーデター
によるオーストロファシズム政権が樹立されると、翌1935年に一家でア
メリカに移住した。

1937年に一家を苦しめ悩ませたのは、長女ヴァレンタイン(ヴァリ)と
音信不通になったことだった。ヴァリは社会学の博士号を取り、ジェロ
・サスという名前のハンガリー人ジャーナリストと結婚して、ヒトラー
の支配するドイツからストックホルムを経てモスクワへ移っていた。し
かし、1937年1月半ばから連絡が取れなくなっていた。一家は手を尽くし
たが、ヴァリの安否はわからなかった。(後年、政治的嫌疑を受けて逮
捕され、シベリアの強制収容所で死亡したことが確認される。)

[死]

その1937年の5月に、アドラーは突然亡くなった。アドラーは、ヨーロッ
パへ講演旅行に出かけた。4月半ばにフランスに着いて、10週間ほとんど
連続の講演旅行が始まり、フランス、ベルギー、オランダを回って、イ
ギリスに渡った。イギリスでは次女のアレクサンドラと共同で授業を行
う予定だった。しかし、5月28日、スコットランドのアバディーン大学で
の連続講義の4日目(最終日の金曜日)に1人で朝食を済ませ、ホテルか
ら散歩に出かけた直後、ユニオン・ストリートの舖道の上で意識を失い
昏倒した。病院に搬送される救急車の中で、心臓発作のため死亡した。
67歳だった。

遺体はエディンバラ郊外のウォーリストン斎場で火葬された。遺骨の所
在は長らく不明だったが、2007年に同斎場で骨壷が発見され、2011年に
国際個人心理学会の協議を経てウィーン中央墓地に名誉改葬された。

[事績]

<器官劣等性・劣等感・優越追求>

幼い頃、アドラーは声帯に軽いけいれんがあった。しかし、それを克服
したのは明らかのようだった。なぜならアドラーは、いつも患者にやさ
しく穏やかに語りかけ、歌声はとても美しかったと伝えられており、彼
の講演は多くの人を魅了したからである。

アドラーの最初の診療所は、プラーター遊園地の近くにあったので、患
者には遊園地で働く料理人や軽業師、芸人等が少なくなかった。それら
の人々を援助する中で、アドラーは、彼らが身体的な弱点を克服して、
むしろそれを強みにしたり活かしたりして遊園地での仕事を得ているこ
とに気がついた。

アドラーは自分自身の体験と、そして主にプラーター遊園地の患者を援
助する中で、器官劣等性がある人は、そのような自分の身体的な弱点を
努力によって、補償あるいは過補償を行うという理論を発展させた。し
かしアドラーはこの理論が、器官劣等性のように客観的に劣っている身
体的機能等がある場合にだけ当てはまるのではなく、主観的に「自分は
劣っている」と劣等感を覚えてそれを補償する場合にも当てはまること
を発見した。そして、人は常に、理想の状態を追求していて(優越追求
)、理想の状態は仮想であるから、それに到達できない自分について劣
等感を覚える、という優越コンプレックスの理論へと発達させていった。

<共同体感覚>

<児童相談所・ウィーン教育研究所>

戦間期のウィーン市政は、社会民主党によって運営されていた(「赤い
ウィーン」)。社会民主党は、様々な改革を行ったが、中でも教育改革
は重要な改革であった。アドラーは第一次世界大戦前の息の詰まるよう
な伝統的な権威主義的な教育に反対で、友人のカール・フルトミューラ
ー(ドイツ語版)と共に教育改革に取り組んだ。

アドラーは児童相談所を設立し、クラスの様々な生徒への対処の仕方に
ついて助言を求める教師や、子どものことについて助言を求める親にカ
ウンセリングを行った。またこの頃には、各学校では関心のある親のた
めに親の会が開かれるようになっていた。アドラーは、ここでも子ども
の教育に関する講義を行ったりその援助を行った。こうして、児童相談
所はウィーンのみならず、ヨーロッパへと拡がっていった。

アドラーはまた、1924年にウィーン市が独自に設立した教育研究所の治
療教育部門教授に就任して、教師の再教育を援助した。教師は、発達お
よび教育心理学のトレーニングを受けることができて、個人心理学の子
どもの発達と治療に関する基本的な知識を得ることができた。

児童相談所、ウィーン教育研究所の取り組みは成功し、国際的に高い評
価を得た。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルフレッド・アドラーの本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「3ヶ月のお休み!」

City WorkerのSさんは昨年ニューヨークでコロナ感染が出始めたころ、
4月に赤ちゃんが生まれました。

1年以内に3か月のお休みが取れるとのことで、1月の終わりから4月初め
まで10か月になったお子さんと一緒に過ごし良きパパになっています。

お給料は通常の65%になるけれど一つ一つの発見と成長を見ることができ
て楽しいそうです。

                Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

それにしても今年は雪が多いようです。さすがに毎日の除雪疲れが出て
きました。腰も痛いし全く嫌になってしまう!とはいっても、もう何週
間かの我慢です。春はもうすぐです♪

旭川でコロナワクチンを打てるのは4月からになるそうです。65歳以上か
らだそうです。・・・それにしても遅過ぎる^^;楓太は打ちません。

颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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