荻野吟子

女医になる。きっと女医になってやる・・・ / 荻野吟子

投稿日:2016年11月25日 更新日:

2016.11.25-Vol.0760
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 女医になる。

  きっと女医になってやる。

   きっとなる。

    きっとなってみかえしてやる。

              <荻野吟子>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

艱難辛苦(かんなんしんく)・・・

困難に出合って、つらく苦しい思いをすること。

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※喫煙室(雑談コーナー)

渡辺淳一氏の小説「花埋み」で有名な日本で最初の女医、荻野吟子の名
言である。

慶応4年、吟子が18歳になる年に上川上村(現在の熊谷市)の豪農の長男
、稲村寛一郎に嫁ぐが、夫の淋病を移され長期療養を機に協議離婚。

子供の産めない体になってしまうが、その時の診察の羞恥心や屈辱的な
体験から女医を目指す決心をすることになる。

「女医になる。
 きっと女医になってやる。
 きっとなる。きっとなってみかえしてやる。」

「学問というものが単に知るということではなく、
 疑うということから始まることを知った。」

「人と同じような生活や心を求めて、
 人々と違うことを成し遂げられるわけはない。これでいいのだ。」

当時、女性への偏見や蔑視から女医への道は遠く、私立医学校に男装で
授業を受けたり、成績優勝で医学校を卒業したにもかかわらず医師への
国家試験すらも認められなかったのである。

31歳の時に医術開業試験嘆願書を東京府、東京都、埼玉県に提出するが
いずれも却下されている。

兵部省高官の石黒、衛生局長長長与専斉に直訴して、33歳にしてようや
く受験が許され前後期試験に合格、日本初の女医第一号として名を馳せ
ることになる。

時代を切り開く先駆者達は、例外なく想像を絶する艱難辛苦を乗り越え
て未来を切り開いていくのである。

吟子が40歳の時にキリスト教の縁で同志社の学生だった熊本県の志方之
善27歳と結婚。

深くキリスト教に傾倒していくことになる。

埼玉県熊谷市にある記念館には像が建てられており、吟子愛誦の聖句が
刻まれている。

「人とその友のために 己の命を 捨つるは是れより 大なる愛はなし」

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荻野吟子

荻野 吟子(おぎの ぎんこ(本名:荻野ぎん)、1851年4月4日(嘉永4年
3月3日) – 1913年(大正2年)6月23日)は、近代日本における最初の女
性の医師である。女性運動家としても知られる。なお、日本人女性初の
国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から
、榎本住(1816年 – 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた。西
洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 –
1903年)がいる。

[生涯]

・1851年(嘉永4年) – 武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬(たわらせ)村
(現在の埼玉県熊谷市俵瀬、2005年(平成17年)9月30日までは大里郡妻
沼町大字俵瀬)に、代々苗字帯刀を許された名主の荻野綾三郎、嘉与(か
よ)の五女(末娘)として生をうける。

・1867年(慶応3年) – 望まれて武蔵国北埼玉郡上川上村(現在の熊谷市
上川上)の名主の長男稲村貫一郎と結婚。

・1870年(明治3年) – 夫からうつされた淋病がもとで離婚。上京し順天
堂医院に入院し婦人科治療をうけるが、そのとき治療にあたった医師がす
べて男性で、男性医師に下半身を晒して診察される屈辱的な体験から、女
医となって同じ羞恥に苦しむ女性たちを救いたいという決意により、女医
を志す。

・1873年(明治6年) – 上京し、国学者で皇漢医の井上頼圀(よりくに)
に師事。頼圀より後妻に望まれる。

・1874年(明治7年) – 甲府の内藤満寿子の私塾の教師となる。

・1875年(明治8年) – 東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)の
一期生として入学。

・1879年(明治12年) – 首席で卒業。同学校の永井久一郎教授紹介によ
り軍医監で子爵の石黒忠悳(ただのり)に女医の必要性を説き、石黒を介
して、典薬寮出身で侍医の高階経徳が経営する下谷練塀(ねりべい)町(
現在の秋葉原)の私立医学校・好寿院に特別に入学を許される。男子学生
に混じり様々ないじめや苦労の艱難辛苦を舐めつつ3年間で優秀な成績で
修了する。しかし、かつての日本に女医は一人もおらず前例がないことに
より、東京府に医術開業試験願を提出したが却下、翌年も同様であった。
つづいて埼玉県にも提出したが同じ結果だった。

・1884年(明治17年)9月 – 医術開業試験前期試験を他の女性3人と受験
、吟子1人のみ合格。

・1885年(明治18年)3月 – 後期試験を受験し合格。同年5月、湯島に診
療所「産婦人科荻野医院」を開業。34歳にして、近代日本初の公許女医と
なる。女医を志して 15年が経過していた。そのときすでに父はもとより
、母も前月に他界していた。吟子のことは新聞や雑誌で「女医第一号」と
して大きく扱われる。診療所は、繁盛し場所が手狭なため、翌年下谷に移
転する。

・1886年(明治19年) – 海老名弾正から『日本開化小史』の著書で有名
な田口卯吉らとともにキリスト教の洗礼を受ける。キリスト教婦人矯風会
にも参加し、その風俗部長に就任するとともに、廃娼運動にも取り組む。

・1888年(明治21年) – 大日本婦人衛生会幹事。

・1890年(明治23年)11月25日 – 39歳の時、13歳年下の同志社の学生で
、新島襄から洗礼を受け敬虔なキリスト教徒だった志方之善(しかたゆき
よし)と周囲の反対を押し切り再婚する。

キリスト教や理想社会を求める互いの熱意に共感し合って幸せな新婚生活
であったのも束の間、夫の之善はキリスト教徒の理想郷をつくるという信
念から北海道へ渡る決意を吟子に告げる。

・1891年(明治24年) 5月 – 之善は同志とともに利別原野開拓のために
吟子を残し単身で渡道するが、現地の状況は厳しく冬季を前に、一旦離道
した。

・1892年(明治25年) – 之善、再び渡道し利別原野のイマヌエル(今金
町)開拓をつづけた。北海道の密林と原野を開拓して理想郷を創造すると
いうこの仕事は、実際には困難を極め、さまざまな経緯はあるが、結果的
には之善の試みは挫折に終る。之善は国縫のマンガン鉱の開発にも失敗に
終わることになる。

・1896年(明治29年) 5月 – 吟子は之善のいるイマヌエル(今金町)へ
渡り之善と同居する。この時点では、吟子は開業をしていない。

・1897年(明治30年)- 之善は国縫の鉱山開発に見切りをつけ、利別での
伝道に専念し、吟子は海辺の瀬棚の会津町(現 本町の一部)で診療所を
開業する。(開業地には、後に荻野吟子開業の地碑が建立された。)

・1903年(明治36年)- 之善は京都の同志社へ再入学し相国寺に隣接する
寄宿舎に移り、吟子は札幌(南1条西5丁目1番地)へ一時転住する。吟子
は新聞に札幌での開業広告を掲載するが、実際に診療を行ったかは明確で
はない。

・1904年(明治37年)- 之善は同志社大学を卒業して牧師として北海道浦
河教会に赴任した。

・1905年(明治38年)- 之善は、牧師の職を辞し、瀬棚にもどり自給伝道
を志すも、病を得て9月23日瀬棚で逝去。吟子はその後も 3年間瀬棚で過
ごし、診療をつづけた。

・1908年(明治41年) – 帰京、本所区小梅町に医院を開業し晩年を送る。

・1913年(大正2年) – 肋膜炎にかかり、ついで脳溢血により逝去した。
62歳。墓所は東京都の雑司ヶ谷霊園。

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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                    Keiko

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