先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

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苦しみ、悶えた後に・・・ / 本島等

      2015/08/14

2013.11.15-Vol.0601
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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苦しみ、悶えた後に、ああ、こういう苦しみや悲しみを
今後どこの人たちにもさせてはならないと立ち上がるまでには、
ものすごく時間がかかったのですよ。

原爆の十日後に声をあげた人もいるけれども、
十年かかった人もいるのです。

今でもなお声を出せない人もいる。

このことは大事なことですよ。

だから、原爆を受けていない私は、被爆者の言いたいこと、
その人たちの気持ちを、代わって言わねばならないと切実に思った。

それで、しつこいほどに「長崎を最後の被爆地に」と言いつづけた。

私がつくったというのはそういう意味です。

「平和は人類が子孫へ残す唯一の遺産である」と言うのも、
私の平和宣言に出た言葉です。

<本島等>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

因果応報(いんがおうほう)・・・

〔仏〕過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸不幸の
果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること。

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※喫煙室(雑談コーナー)

1979年から1995年まで長崎市長を務めた本島元長崎市長。

私は、彼の主張する因果応報による原爆容認論を絶対に認めることは
出来ない。

原爆は絶対に許すことの出来ない人類史上最悪の核兵器である。

因果応報というのは、原爆を引き起こした原因が先の戦争において日
本軍が引き起こした様々な人道に反する残虐行為に対する天罰だった
という彼独自の理論である。

戦争の天皇責任論を展開し、右翼団体の幹部から銃撃されて瀕死の重
傷を負ったが奇跡的に一命を取り留めた事件は記憶に新しい。

後に、銃撃犯を「赦す」と述べるなど寛容な態度を示しているが、私
が同意できるのは、この寛容な精神と言論の自由を暴力で封殺させる
ことなど絶対に容認出来ないという点である。

本島市長がどのような思想の持ち主であれ、自分を殺そうとした相手
を「赦す」ことなどなかなか出来るものではない。

多種多様な意見や考えを暴力や力によって一定の方向に従わせること
は出来ないのである。対立を深めるばかりである。

本島元長崎市長が主張するように、「粘り強い対話」には忍耐と強靭
な精神力が必要なのだが、しかし、そこに限界は無いのだろうか?

安倍首相が推し進めている国家機密を漏えいした公務員らに厳罰を科
す「特定秘密保護法案」は、「知る権利」や「言論の自由」等との整
合性などを考えると非常に問題のある法案である。

何やら物騒な方向に向かっているような気がしてならない。

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本島等

本島 等(もとしま ひとし、1922年(大正11年)2月20日 – )は、日
本の政治家。1979年(昭和54年)から1995年(平成7年)の4期にわた
り、長崎県長崎市長を務めた。

[略歴]

現在の長崎県南松浦郡新上五島町仲知地区(旧・北魚目村)に生まれ
る。隠れキリシタンの末裔であるためカトリック教徒であり、母が未
婚ということもあって、戦時中はスパイ疑惑を掛けられた。旧制高校
在学中の21歳の時に徴兵され、見習士官として新兵に大砲の撃ち方を
教えていた。終戦時は、所属していた西部軍管区教育隊・砲兵生徒隊
の疎開先である熊本市郊外の山奥にいた。戦後、京都大学工学部に入
学。在学中は京都カトリック学生連盟の委員長を務めたこともあった
。27歳で卒業。

その後、教員生活を経て、長崎県議会議員を5期20年務め、長崎市長と
なった。その間、自由民主党長崎県連合会幹事長などを務めた。

昭和天皇が重病で余命が長くないと知らされ、国中に自粛ムードが漂
っていた1988年(昭和63年)12月7日、市長3期目の在任中だった本島
は、市議会で共産党議員の昭和天皇の戦争責任に関する意見を求める
質問に対し、海外の記事や自分の従軍経験から考えて「戦後43年経っ
て、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います・
・・私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦
争責任はあると私は思います」と答弁。

同日の記者会見でも「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く
決断していれば沖縄戦も広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の
記述から見ても明らかです」と重ねて発言した。その直後に、自民党
県連などが発言撤回を要求したが、本島は自分の良心を裏切ることは
できないとして、これを拒否した。これに対し自民党県連は県連顧問
から解任し、多数の右派系人物、組織が市長を非難した。また、多数
の街宣右翼が長崎市に押しかけ、80台以上の街宣車を使用して市長へ
の「天誅」を叫んだ。

1990年(平成2年)1月18日、警備費用がかかりすぎるとの自民党市議
の批判を受けて警察が警備を緩和したときに、右翼団体『正気塾』の
田尻和美が本島を背後から銃撃したが、奇跡的に命を取り留めた。そ
の後、本島は瀕死の重体であったが「犯人を赦す」と述べている。

1991年(平成3年)の選挙では共産党は公認候補を出さず、実質的に本
島を支持し、そのほかの左派勢力の協力も得て4選したが、1995年(平
成7年)の選挙では多選批判などを受け、自民党の推薦を受けた伊藤一
長に敗れ、政界から引退した。2007年(平成19年)に伊藤が銃撃によ
って死亡した際には「2代にわたり市長が銃撃されるのは異常」とコメ
ント(毎日新聞)した。

2002年(平成14年)、第1回韓日平和交流功績賞(韓国の被爆者団体と
長崎県被爆2世教職員の会が設けた賞)、並びに、ドイツの功労勲章一
等功労十字章が贈られた。

2002年(平成14年)以降、左翼過激派との接近が顕著になり、中核派
の機関紙『週刊三里塚』巻頭の「闘いの言葉」を執筆している。

[原爆投下に対する考え]

1997年(平成9年)、原爆ドームの世界遺産登録をきっかけに書いた論
文(「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」、広
島平和研究所)で「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対
する報復としては仕方がなかった」と述べた。また1998年(平成10年
)7月、共同通信社の単独インタビューに対し「(原爆は)落とされる
べきだった。(満洲事変から終戦までの十五年間にわたる)あまりに
非人道的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復とし
ては仕方がなかったと考えるようになった」と答えた。これには「加
害の認識と謝罪の徹底を通して原爆観の落差を埋めること、そして何
よりも被爆体験の特権化による『被爆ナショナリズム』の解体にこそ
ある」(川口隆行)ものとする論もあるが、右派や被爆団体からは非
難を浴びた。

また、2007年(平成19年)に久間章生が「原爆投下は仕方が無かった
」と発言して与野党や世論から大きな反発を受けた時も、「日本の戦
争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」として一定の理解
を示すなどしている。また本島は非難を浴びた久間を「当然の認識で
僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判す
るのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と久間発
言を支持した。

[原爆投下に対する発言]

前述のように原爆投下を因果応報のような発言を述べているが、後述
では過激な発言を述べる。原爆投下の当事者のアメリカに対する非難
はあまりない。

[質問]米国の原爆投下をどう考えるか。
[回答]『落とされるべきだった。(満洲事変から)15年間にわたるあ
まりに非人間的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報
復としては仕方がなかったと考えるようになった』

[質問]原爆の持つ非人間性は。
[回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、
拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京
大虐殺や731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている

[質問]現在の核兵器をどうとらえるか。
[回答]『今、核兵器では何千万という人々が死ぬ。おもちゃのような
原爆は、当時の考え方からすれば通常武器の一種だったと考えざるを
得ず、核兵器廃絶を考える基礎になるものでない。被害の大きさが違
い比較にならない』

[質問]今の認識に至ったのはなぜか。
[回答]『日本人の持つ原爆観が世界に通用しないことを痛感するよう
になった。原爆は中国など侵略を受けた国々にとって救世主だった。
市長を16年間続けている間、被爆者問題について考え続けたが、日本
人の野蛮は計り知れない。日本人全員が謝罪する義務を負っている』

[質問]被爆者団体の反発が予想されるが。
[回答]『撃たれた時もそうだったが、この発言を緩めるつもりはない
。間違っていると思った時に声を上げるのが、われわれの任務だ。今
年いっぱいかけて、これらの考えを論文にまとめたい』

(以上、共同通信社のインタビュー配信記事 1998年7月29日)<後略>

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本島等の本
自己啓発書のベストセラー

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★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

※今日はお休みです。29日から再開します。

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?

忙しい日が続き、先週が「名言集」創刊600号だということをスッカ
リ忘れていました^^;
休まずに良く続けてこられたものです・・・と自分を褒めてやりたい
気持ちです。(誰も言ってくれないので・・・^^;)
源太はペロペロと舐めてくれます♪

皆さん、もう冬の支度はお済みでしょうか?
北海道の旭川はすっかり雪景色に変わりました。
風邪などひかないように気をつけて下さいね。

源太は我が家の愛犬です。

 - 日本人の名言, 本島等

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