北里柴三郎 日本人の名言

君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ・・・ / 北里柴三郎

投稿日:2019年4月26日 更新日:

2019.04.26-Vol.0888
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 君、人に熱と誠があれば何事でも達成するよ。

  よく世の中が行き詰まったと云う人があるが、

   是は大いなる誤解である。

 世の中は決して行き詰まらぬ。

  若し行き詰まったものがあるならば、

   これは熱と誠がないからである。

              <北里柴三郎>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

熱意(ねつい)・・・熱心な気持。いきごみ。

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※喫煙室(雑談コーナー)

前回まで新1万円札の渋沢栄一、5千円札の津田梅子をご紹介したが、最
後に千円札の北里柴三郎をご紹介したい。

勿論、知らない人はいないと思うが、日本における「近代医学の父」と
いわれ、ペスト菌を発見、破傷風の治療法を確立するなど感染症医学の
発展に貢献した人物である。

以下、NHK Eテレの番組で良くまとめられた面白いエピソードを見つけた
ので転載したい。

No1 “雷おやじ” 北里柴三郎

「伝染病から人類を守るためにがんばらないと!」。細菌学者の北里柴三
郎は、いろいろな伝染病を研究し、治療法も発見しました。研究のことと
なるとついカーッとなってしまう北里柴三郎を、弟子たちは「ドンネル先
生」、ドイツ語で“雷おやじ”とよびました。

No2 「伝染病から人を守ることが私の使命」

明治時代には世界で活躍する日本人たちが登場し始めます。北里柴三郎は
その一人です。150年ほど前、開国したばかりの日本に外国からコレラとい
う伝染病が入ってきました。コレラは日本中に広がり、多くの人の命をう
ばいました。北里の生まれたのは今の熊本県小国町(おぐにまち)。二人
の弟もコレラで亡くなります。この経験が彼に医者になることを決意させ
たのです。「伝染病から人を守ることが私の使命」と考えた北里は、役所
に入り、研究者となります。そして伝染病の研究で世界トップのドイツへ
、国から派遣されました。

No3 ドキリ★破傷風の治療法を発見し世界的な学者に

そこで彼は、破傷風という病気の研究に取り組みます。この病気は、傷口
から入った破傷風菌が出す毒素が原因です。治療法を探していた北里は、
その毒素を動物に注射してみました。すると血液の中に、毒素を中和する
成分が見つかったのです。その成分を取り出して人に注射すると、病気が
治りました。北里が発見した世界初の治療法は「血清療法」とよばれまし
た。北里の名前はヨーロッパ中に知れわたり、世界的な学者となりました。

No4 日本初の伝染病研究所

留学を終え、帰国した北里が最初に取り組んだのが、伝染病専門の研究所
をつくることでした。国にその必要性をうったえますが、聞き入れられま
せんでした。そんな彼を支援してくれたのが、友人の福沢諭吉です。自ら
の土地を提供した福沢のおかげで、日本で初めての伝染病研究所が完成し
ました。所長となった北里は、公衆衛生の大切さを説き、伝染病を防ぐた
めの法律もつくりました。

No5 弟子の育成にも注力

北里は、弟子の育成にもきびしく力を注ぎます。弟子たちは北里のことを
、親しみをこめて、ドイツ語で「ドンネル先生」、“雷おやじ”とよびま
した。門下生からは、赤痢菌の治療法を確立した志賀潔や、黄熱病の研究
をした野口英世などの研究者が育ちました。

No6 北里の門下生、野口英世

野口英世は、黄熱病の研究で世界的に注目されました。北里の門下生だっ
た野口は、1900年、伝染病研究が進んでいたアメリカにわたります。そこ
で、ねる間もおしんで研究を続けた野口は、ヘビの毒や梅毒の研究で業績
をあげ、国際的に認められます。次に彼が取り組んだのが、熱帯地域で大
流行していた伝染病、「黄熱病」の研究です。中南米やアフリカに出向き
、現地で研究を開始します。病原菌のサンプルを大量に集め、実験をくり
かえしました。

No7 ドキリ★黄熱病の研究で世界的に注目された

しかし、研究のとちゅうで自身も黄熱病にかかり、51歳で亡くなりました
。命をかけて黄熱病と戦った野口の墓には、「人類のために生き、人類の
ために亡くなった」と刻まれ、業績がたたえられています。野口英世は、
黄熱病の研究で世界的に注目されたのです。

No8 年号ごろあわせ

1890年は、北里柴三郎が破傷風の血清療法を発見した年。こう覚えましょ
う。「北里が、秘薬教(1890)える、破傷風の血清療法」。

         ☆—————————————-☆

北里柴三郎

北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20
日) – 1931年(昭和6年)6月13日)は、日本の医学者・細菌学者である
。貴族院議員・従二位・勲一等・男爵・医学博士。

私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、
土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者、第
1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)、私立北里研
究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学
祖、慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医
学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長、
テルモ株式会社の設立者である。

「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の
治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。

[人物]

[出生から]

肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県阿蘇郡小国町)に生まれる。父
の惟保(これのぶ、1829年 – 1902年)は庄屋を務めた。温厚篤実、几帳
面であった。母貞(てい、1829年 – 1897年)は豊後森藩士加藤海助の娘
で幼少時は江戸で育ち、嫁して後は庄屋を切りもりした。柴三郎の教育
に関しては甘えを許さず、親戚の家に預けて厳しい躾を依頼した。闊達
な性質で、柴三郎が指導者としての性格は母からであろう。柴三郎は8歳
から2年間、父の姉の嫁ぎ先の橋本家に預けられ漢学者の伯父から四書五
経を教わった。

帰宅後母の実家に預けられ、儒学者園田保の塾で漢籍や国書を学び4年を
過ごした。その後久留島藩で武道を習いたいと申し出たが他藩であるの
で許可されなかった。実家に帰り父に熊本に遊学を願い出た。1869年細
川藩の藩校時習館に入寮したが翌年7月廃止された。それで、熊本医学校
に入学した。その教師マンスフェルトに出会った事をきっかけとして本
格的に医学に目覚めることとなった。特別に語学を教わり、3年間在籍し
たが、2年目からは通訳を務めている。マンスフェルト、職員、生徒の集
合写真にはマンスフェルトの横に写っている。

1875年(明治8年)に東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学したが、
在学中よく教授の論文に口を出していたため大学側と仲が悪く、何度も
留年した。1883年(明治16年)に医学士となる。在学中「医者の使命は
病気を予防することにある」と確信するに至り、予防医学を生涯の仕事
とする決意をし、「医道論」を書いた。演説原稿が残っている。卒業時
の成績は26名中8位であった。その後長与専斎が局長であった内務省衛生
局へ就職。

[留学時代]

同郷で東京医学校の同期生であり、東大教授兼衛生局試験所所長を務め
ていた緒方正規の計らいにより、1885年(明治18年)よりドイツベルリ
ン大学へ留学。コッホに師事し業績をあげた。1887年(明治20年)石黒
忠悳陸軍省医務局長はベルリンを訪問、北里にペッテンコーフェル研究
室に移るように指示したが、コッホに面会しコッホの期待の大きさを目
のあたりにした石黒は、移動命令を撤回した。

1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌
純粋培養法に成功、1890年(明治23年)には破傷風菌抗毒素を発見し世
界の医学界を驚嘆させた。さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物
に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発した。

1890年(明治23年)には血清療法をジフテリアに応用し、同僚であった
ベーリングと連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立
について」という論文を発表した。第1回ノーベル生理学・医学賞の候補
に柴三郎の名前が挙がったが、結果は抗毒素という研究内容を主導して
いた柴三郎でなく、共同研究者のベーリングのみが受賞した。

柴三郎が受賞できなかったのは、ベーリングが単独名でジフテリアにつ
いての論文を別に発表していたこと、ノーベル委員会や(選考に当たっ
た)カロリンスカ研究所が柴三郎は実験事実を提供しただけで免疫血清
療法のアイディアはベーリング単独で創出したと見なしたこと、賞創設
直後の選考でのちのような共同授賞の考え方がまだなかったことなどが
要因としてあげられている。柴三郎に対する人種差別を理由とする明確
な証拠はみつかっていない。

論文がきっかけで欧米各国の研究所、大学から多くの招きを受けるが、
国費留学の目的は日本の脆弱な医療体制の改善と伝染病の脅威から国家
国民を救うことであると、柴三郎はこれらを固辞して1892年(明治25年
)に帰国した。

[帰国後]

ドイツ滞在中、脚気の原因を細菌とする東大教授・緒方正規の説に対し
脚気菌ではないと批判を呈した為、緒方との絶縁こそなかったものの「
恩知らず」として母校東大医学部と対立する形となってしまい、帰国後
も日本での活躍が限られてしまった。

この事態を聞き及んだ福澤諭吉の援助により私立伝染病研究所が設立さ
れることとなり、柴三郎は初代所長となった。その後、国に寄付され内
務省管轄の国立伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)となり、伝染
病予防と細菌学に取り組む。1894年(明治27年)にはペストの蔓延して
いた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという
業績をあげた。

かねがね伝染病研究は衛生行政と表裏一体であるべきとの信念のもと、
内務省所管ということで研究にあたっていたが、1914年(大正3年)に政
府は所長の柴三郎に一切の相談もなく、伝染病研究所の所管を突如文部
省に移管し、東大の下部組織にするという方針を発表した。

長年の東大との対立が背景であるといわれている。医科大学学長であっ
た青山胤通が所長を兼任することになった。柴三郎はこれに反発し所長
を辞し、新たに私費を投じて私立北里研究所(現・社団法人北里研究所
。北里大学の母体)を設立。狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフ
スなどの血清開発に取り組んだ。

諭吉の没後の1917年(大正6年)、諭吉による長年の多大なる恩義に報い
るため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長とな
る。新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代
慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や、赤痢菌を発見した志賀潔など
北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無
給で慶應義塾医学部の発展に尽力した。

また明治以降多くの医師会が設立され、一部は反目しあうなどばらばら
であったが、1917年(大正6年)に柴三郎が初代会長となり、全国規模の
医師会として大日本医師会が誕生した。その後1923年(大正12年)に医
師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあ
たった。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北里柴三郎の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

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美術館が始まって以来初めてのこと!!

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19日上演されます。

亡きドナルド・キーンさんも18歳の時NYの書店で「源氏物語」の翻訳本
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                  Keiko

※さすがKeikoさんですね。入院すると伝えただけで2週間分の原稿をす
ぐに送ってくれました。感謝!

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

狭窄症と椎間板ヘルニアの手術を受け、入院してから今日で5日目です。
パソコン厳禁です・・・。早く退院したいよ~~^^;
颯太(ふうた)も心配してます。

颯太は我が家の愛犬です♪

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「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
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