堺屋太一 日本人の名言

経済の低成長下で、近年は人々の意欲まで後退していると・・・ / 堺屋太一

投稿日:2019年2月15日 更新日:

2019.02.15-Vol.0878
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 経済の低成長下で、近年は人々の意欲まで後退していると感じる。

  安全安心や清潔さは日本の強みだが、

   万博をきっかけに日本を再び意欲あふれる楽しい社会にしたい。

    言い換えれば「面白くてワクワクする日本」だ。

              <堺屋太一>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

団塊(だんかい)・・・

(1)地層中に存在する球状・楕円状・扁平状などの形をなす硬い塊。
(2)沢山の物が集まってできた、かたまり。

※団塊の世代

(他世代に比し人数が特に多いところからいう)日本で1947~49年のベ
ビーブーム時代に生まれた世代。

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※喫煙室(雑談コーナー)

経済企画庁長官などを歴任した作家の堺屋太一氏が2月8日、多臓器不全
のため亡くなられるという訃報が報じられた。83歳だったという。

元通産官僚として、のちに作家や学者としてご活躍され、マスメディア
への露出も多く多才な才能と突出したアイデアマンとしての印象が強い。

小渕内閣の時に民間人閣僚として経済企画庁長官に就任されたことも記
憶に新しい。

特筆すべきは、「団塊の世代」という言葉は今では普通に使われている
が、その名付け親が堺屋太一氏である。1976年に発表した小説の題名が
「団塊の世代」であり、1940年代後半に日本で生まれた第一次ベビーブ
ームの世代を「団塊の世代」と位置づけ多大な影響を及ぼした言葉にな
った。

以下、2018/11/16付の日本経済新聞より抜粋させていただく。

堺屋太一さん 「ワクワク」再び日本に
ー2025年万博、大阪誘致へエールー

通商産業省(現・経済産業省)で70年の大阪万博の誘致にかかわった。
テレビが普及した当初と今では情報ツールの進化は比べものにならない
。25年万博は世界中の人が五感をフルに使って新しい体験を楽しむ場に
してほしい。冒険的な計画を打ち出せば、前回の万博で活躍した岡本太
郎さんらのような人材の発掘にもつながる。

経済の低成長下で、近年は人々の意欲まで後退していると感じる。安全
安心や清潔さは日本の強みだが、万博をきっかけに日本を再び意欲あふ
れる楽しい社会にしたい。言い換えれば「面白くてワクワクする日本」
だ。

万博は興行であり、参加国の財政負担は少なくない。日本は発展途上国
向けの資金支援を打ち出しているが、参加に伴う経済効果をもっとアピ
ールすべきだ。万博の来場者だけでなく、今後も増加が期待される訪日
客を通じて各国の魅力が世界に伝わる効果は大きい。「大阪万博は自国
の観光振興にも役立つ」と訴えるのも、誘致を勝ち取る大きな一押しに
なる。

         ☆—————————————-☆

堺屋太一

堺屋 太一(さかいや たいち、1935年(昭和10年)7月13日 – 2019年(
平成31年)2月8日)は、日本の小説家・作家、評論家、元通産官僚、経
済企画庁長官(第55~57代)、元内閣特別顧問。株式会社堺屋太一事務
所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長。内閣官房参与。様
々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。

本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は
、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「
堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。

[経歴]

[生い立ち]

谷町に近い大阪市東区岡山町(現中央区玉造)生まれ。本籍地は、先祖
の商家が堺に移住する前から本拠のある奈良県御所市名柄。父は早稲田
大学卒の在野の弁護士で、母は奈良県出身ながら上品な船場言葉を見事
に操る呉服商の「いとさん」(令嬢)。

陸軍の師弟が多く通う大阪偕行社学院(現追手門学院小学校)(小学校
59期)に入学するが、1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で玉造の自宅
が焼け、父の実家の奈良県御所市に転居、名柄小学校に転入する。卒業
後、名柄中学校に進むが、大学進学を考えると大阪の方が有利と考え、
高校受験のため大阪市立昭和中学校に越境入学した。

1951年(昭和26年)大阪府立住吉高等学校入学、在学中はボクシング部
に所属し、モスキート級の大阪チャンピオンになった。社会科学研究会
にも所属し、カール・マルクスの著書「資本論」など読みふけっていた。

奈良県下の実家から大阪の高校へ片道2時間をかけて通学した。毎日弁当
を作る母に配慮して、ある時から炊いた白米のみを持たせてもらい、毎
日学食でそれにカレールーをかけてもらいカレーライスを食べていた。
これが青春の味であり「年に200回、(高校)3年間の累計では500回以上
も食べていた」。

進路指導の際、担任教諭は、大阪大学も無理だから大阪市立大学あたり
にしろと言うつもりだったが、「東大(に進学したい)と言うなら、も
う何も言わない。自分で頑張ってほしい」と告げる。

1954年住吉高校卒業後、大学受験に失敗。「50歳ぐらいまで夢に見続け
る」ほどで、滑り止めの慶應義塾大学法学部に入るが、すぐ退学。2年間
の浪人生活の後、1956年(昭和31年)兄と同じ東京大学に合格。浪人中
に建築設計事務所でアルバイトと勉強をしており、建築への興味と一級
建築士並みの知識があり、実際、学生会館の設計の学内コンペで1等賞も
受賞したことから工学部建築学科に進もうとする。ただ、教養課程で他
分野を学ぶうち、高校時代からの経済学への興味に気づき、(東大)経
済学部へ転入し、大河内一男教授(後の総長)に師事。「経済学部で3番
目の成績」で卒業したという。

[官僚時代]

1960年(昭和35年)4月に通商産業省(現経済産業省)入省。入省同期に
熊野英昭(元事務次官)、松田岩夫、高橋達直、岡松壮三郎(初代経産
研究所所長)らがいる。通産省時代は部下が家まで起こしに行くなど個
性派であった。

1962年の通商白書では世界に先駆けて「水平分業論」を展開。また、日
本での万博開催を提案、1970年の「大阪万博」の企画・実施に携わり、
成功を収めた。その後、沖縄開発庁に出向、1975年-1976年の「沖縄海洋
博」も担当する。工業技術院研究開発官として3年ほど自然エネルギーに
関わるサンシャイン計画に携わった後、通産省を退官した。

[作家として]

通産省に在職中の1975年、近未来の社会を描いた小説『油断!』で作家と
してデビューした。

1976年に発表した小説『団塊の世代』は、1940年代後半に日本で生まれ
た第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と位置づけ、多方面に影響
を与えた。また、大河ドラマの原作となった『峠の群像』、『秀吉』を
はじめとする歴史小説も数多く執筆した。小説のみならず、工業社会の
終焉と「知価社会」(情報化社会)の到来を予言した経済理論『知価革
命 工業社会が終わる・知価社会が始まる』等の社会評論や、首都機能移
転に関する『「新都」建設 これしかない日本の未来』をはじめとした公
共政策分野における政策提言に関する著作も多数執筆した。

[博覧会のプロデューサーとして]

1978年に通商産業省を退官した後も、イベント・プロデューサーとして
数々の博覧会を手掛けた。

1990年(平成2年)に開催された花の万博では『ダイコク電機「名画の庭
」』パビリオン総合プロデューサーを務め、世界の名画を転写して焼成
した陶版画を展示紹介した。後にこれらの陶版画は、「京都府立陶板名
画の庭」に移築された。

1992年のセビリア万博では日本館総合プロデューサーを務め、日本館内
で安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元をメイン展示として紹介し
た。後にこちらは「安土城天主信長の館」内に移築された。

2005年(平成17年)の愛知万博では当初最高顧問であったが、お祭り色
の強い博覧会を考えた堺屋と長期的計画を望んだ地域の意図が合わず、
2001年6月28日に辞任した。ただし、最高顧問辞職後も、顧問として愛知
万博協会に関与した。 2010年に開催された上海国際博覧会の準備室高級
顧問に就任。1984年に堺屋が汪道涵上海市長に中国発展の起爆剤として
万博開催を提案し、1985年からは新しく上海市長となった江沢民のもと
で万博構想の具体化が進められたため、上海万博準備室の黄耀誠副主任
の要請だったとされる。さらに上海万国博日本産業館出展合同会社代表
も務めた。

2014年には、2025年万国博覧会の大阪招致構想を提唱した。

[マスメディアでの活動]

新聞では、産経新聞の提言コラム「正論」欄に定期的に寄稿する「正論
メンバー」で、1991年(平成3年)には第7回正論大賞を受賞。産経新聞
で翌1992年から、『風と炎と』と題して21世紀を展望する長期大河コラ
ムも連載している。 テレビでは、1978年から日本テレビのドキュメンタ
リー番組『あすの世界と日本』でナビゲーターを務めたり、BSフジのビ
ジネス対談番組『堺屋太一のビジネスリーダー』で司会を担当したり、
テレビ朝日のドラマ『聖徳太子の超改革』の原案を手がけるなど、幅広
く携わっている。

ラジオではニッポン放送で1980年10月から1982年4月まで放送された『堺
屋太一のホットジャーナル』を、芸能レポーターの東海林のり子ととも
に担当した。

[閣僚として]

1998年、小渕内閣に民間人閣僚として経済企画庁長官に就任。第2次森内
閣まで務め、同時に総合交通対策担当大臣、新千年紀記念行事担当大臣
、情報通信技術(IT)担当大臣なども兼任した。

長官在任中には、従来の政府の景気判断よりも景況感の変化を迅速かつ
的確に把握しやすくする為、タクシードライバーや居酒屋の店主など「
街角の人」に直接話を聞く「景気ウォッチャー調査」を開始。また、イ
ンターネット博覧会(通称インパク)の発案者でもある。

[学者として]

2002年、東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。2004年、
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、同大学日本橋キャンパスイ
ンテンダント(学督)に就任。2008年には関西学院大学大学院経営戦略
研究科客員教授に就任。

[政治運動家として]

2008年大阪府知事選挙の際に、国定浩一らとともに橋下徹を支援する団
体として「橋下氏を知事にする勝手連」の設立に関わった。

2009年にはみんなの党の母体となり、後にサポーター組織となった「国
民運動体 日本の夜明け」のナビゲーターに就任した。

2010年には大阪維新の会の支援団体である「経済人・大阪維新の会」の
最高顧問に就任した。また、2012年には大阪維新の会が政治家の育成を
目的に設立した維新政治塾の名誉塾長に就任した。こうした観点から、
堺屋は橋下徹及び大阪維新の会のブレーンとされている。

「成長戦略」担当の内閣官房参与として首相・安倍晋三のブレーンを務
め、2016年4月に一般社団法人「外国人雇用協議会」を設立して会長に就
任すると、政府の諮問会議などで外国人労働者の受け入れ拡大を提案し
た。

[死去]

2019年2月8日20時19分、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去。
83歳没。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堺屋太一の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「日本のお菓子が食べたい・・という人」

キットカット、ナビスコリッツクラッカー、ソーダクラッカー、そして
マコーミックのドレッシングなどアメリカの製品が日本のスーパーには
並んでいます。

唯一、お抹茶味のキットカットチョコレートは日本だけ。

今、アメリカはお抹茶・緑茶が健康に良い等、ユニバーバーシティーク
ラブのシェフがお抹茶のバームクーヘンをパーティーに使いたいと言っ
ていました。

同じお菓子なのに微妙に味が違う、日本製のほうが美味しいと言います。
(嬉しい!)日本では日本人の好みに合うように成分を変え作られてい
るのでしょうか?

                  Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

昨日はバレンタインデー、男性の皆さんはチョコレートを沢山もらった
のでしょうね♪女性の皆さんは大変ですよね^^;

相変わらず雪が降り続いています。いつになったら暖かくなるのでしょ
うね?毎朝晩の除雪で疲れます。雪はもう沢山です^^;

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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