先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

驚くほど役に立つ「名言集」では、世界の名言・金言・格言・故事・ことわざをご紹介します。

私は朝早くから夜遅くまで・・・ / 石橋正二郎

      2015/08/14

2013.09.20-Vol.0593
—————————————————————–
■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
—————————————————————–

★今日の名言★

=================================================================

私は朝早くから夜遅くまで、

日曜も祭日もなく一生懸命に働いた。

タイム・イズ・マネーを実行したので人の3倍くらいは仕事したろう。

また、父からタバコや酒はのむなと言われて今日まで実行している。

               <石橋正二郎>

=================================================================

◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

養生(ようじょう)・・・

(1)生命を養うこと。健康の増進をはかること。衛生を守ること。
摂生。
(2)病気・病後の手当てをすること。保養。
(3)土木・建築で、モルタルや打ち終わったコンクリートが十分硬
化するように保護すること。<後略>
(4)植物の生育を助成・保護するために、支柱・敷藁・施肥などの
手当てをすること。

=================================================================

※喫煙室(雑談コーナー)

ブリジストンの創業者である石橋正二郎氏が、何故一代で大財閥とい
われるほどの財産を築きあげたのか、如何に健康に気を遣っていたの
か、正二郎氏の貴重な名言を集めてみたので是非お読み頂きたい。

物の考え方が柔軟で、大きな目標を達成する為に信念を曲げずに忍耐
力を持って行動することの大切さを説く正二郎氏。

正二郎氏の名言の中に出てくる以下の言葉は、成功者に共通したもの
の考え方や見方であるように思われる。

「楽観的・周囲との調和・信念・時間の使い方・人の幸福・忍耐」な
どの言葉は洋の東西を問わず成功者が好んで使う言葉である。

「なんら失敗がなく自然と伸びていくので、
他人からつくりごとのようだと言われるくらいだった。
もともと大雑把な私のこと、すべて楽観してやるので、
人が止めても何しても独走してしまう。
たまたまこの独走がものをいった形だ。」

「一個人として如何に優秀でも、
他人と仲良く働くことのできぬ人は、
集団生活においていちばん厄介な人である」

「禍は口から、という。
言葉をつつしみ、自分の偉さをあらわそうとはせず、
気どらなければかえって人に尊敬され、親しまれ、
したがって自分も楽しみが多いが、
いばり、虚勢をはる人は他からきらわれて、
孤立し、人望を失うにいたる」

「時の短縮は、私の信条である。
もし他人の三分の一の時間で仕事をすれば、
結局三倍の仕事ができるわけだ。
だから一生涯の活動時間を、かりに四十年とすれば、
百二十年分の仕事量となる勘定になる」

「心だに誠の道にかないなば、折らずとても神や護らん
-道具公の和歌が私の信念である。
日本では精神的なものを尊ぶが、
心と物とが創り出すものは真に世の中のためになるものである」

「一生涯の目的を達成せんとするものは、いかなる固執も、障害も、
目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、堅忍持久、終始一貫、
最後の目的に突進することである」

「生活向上に役立ち、
人の幸福を増す製品をつくることが成功の基である」

「事業は良い計画を立て、時を活かすことにより成功する。
先の先を見透かして事業を始める。
気は長く持つが、行うときは気短でなければならぬ」

☆——————————☆

石橋正二郎

石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年(明治22年)2月1日 –
1976年(昭和51年)9月11日)は日本の実業家。
ブリヂストンタイヤ(現 ブリヂストン)の創業者であり、1966年(昭
和41年)8月1日に日産自動車と合併したプリンス自動車工業の育ての
親(出資者)でもある。
また、張り付け式ゴム底足袋(地下足袋)の考案者でもある。
企業活動を通じて、日本のゴム工業や自動車工業の発展に多大な貢献
を行った。長年の功績により2002年(平成14年)には日本自動車殿堂
入り、2006年(平成18年)には米国自動車殿堂入りを果たしている。
一貫してブリヂストンを中心とするゴム工業を経営の基盤としたが、
これ以外にも多数の業種に参入し、一代で石橋財閥ともいえる企業グ
ループを形成した。

[経歴]

現在の福岡県久留米市に父・石橋徳次郎、母・マツ夫妻の二男として
生まれる。家業は着物や襦袢を縫う仕立屋。
久留米商業学校卒業後、病気療養中の父の希望で、兄の重太郎(家督
相続と同時に二代目徳次郎を襲名)とともに家業を継ぐ。しかし、こ
の年の暮れに兄が徴兵されてしまい、実質的に正二郎が一人で家業を
切り盛りしなければならない状況となった。
種々雑多な注文に対応する困難さ、職人的な技能に頼る仕立物屋の将
来性に対する疑問などから、業容を変更して以前より業務の一部とし
ていた足袋製造を専業とすることを決意する。この後、順調に事業は
拡大し、規格化された製品を大量生産するため、1908年には新工場を
設立し、縫製用のミシンと生地の裁断機、これらの動力源となる石油
発動機を導入している。また、多くの労働者を雇い入れる必要性から
、古い徒弟制を廃し給与制をいち早く採用して、経営の近代化を図っ
ていった。販売面についても、それまで文数(サイズ)ごとに細かな
価格設定がされていた足袋の小売価格を、分かりやすい一律価格に改
定している。1912年には九州地域で最初となる自動車を購入し、町の
中を走らせて足袋の宣伝を行うという、当時としては先進的な広告手
法も取り入れている。
第一次世界大戦が始まった1914年(大正3年)に商標(ブランド名)を
「志まや足袋」から「アサヒ足袋」へと変更する頃には、先行する大
手の足袋会社と肩を並べるほどに成長した。正二郎は、大戦勃発によ
る物価高騰を予見して、事前に生地、糸などの原料を大量に仕入れて
いたため、この時期に事業はさらに発展した。1918年(大正7年)には
兄の二代目徳次郎を社長、正二郎を専務取締役として、日本足袋株式
会社を設立。株式会社組織とすることで事業基盤を固め、この時点で
名実ともに足袋の四大メーカーの一つとなった。
日本足袋株式会社は、1947年(昭和22年)に日本ゴム株式会社と名称
を変更し、1988年(昭和63年)には株式会社アサヒコーポレーション
となっている。同社は正二郎が経営から退いた後も順調に事業が拡大
し、昭和の時代には長期にわたってズック靴の製造で日本のトップシ
ェアを誇っていた(商標はアサヒ靴)。しかし、1998年(平成10年)
4月10日経営悪化により福岡地裁に対し会社更生法の手続き開始申請を
行なって、事実上倒産している。倒産時の経営は二代目徳次郎の息子
にあたる三代目徳次郎(幼名は義雄)が務めており、負債総額は1300
億円あまりの大型倒産であった。
1976年(昭和51年)9月11日に没。墓所は生地久留米市の曹洞禅寺・千
栄寺。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石橋正二郎の本

自己啓発書のベストセラー

——————————

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

ニューヨークのジャズクラブ

日本からジャズ研究家がニューヨーク入りなさっています。

ブロードウェイにあるiridium Jazz Clubでは、美しい女性Sharel
Cassityの迫力ある演奏が始まりました。

その後、ジャズ研究家がいくつかのジャズクラブに挨拶まわりと仰る
ので付いていくと、バードランドでジョン・コルトレーンの息子さん
にお会いして握手できました。

まさにチャンスとタイミングの素敵なニューヨークの夜です。

マルティン・ルターキング牧師、ジョン・コルトレーンの音楽が白人
社会のアメリカを現在人種差別なく、食事中同じテーブルを囲み、バ
スの前方席にも腰掛けることができるようになったことなど歴史も学
びました。(しかし現在人種差別は確実に存在しています)

ジャズは何故お酒、食事をしながら聴いて良いのかご存知の方教えて
いただけないでしょうか?   Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?

健康といえば、江戸時代の儒学者であった貝原益軒の「養生訓」を思
い出します。

先日、コメディアンで俳優でもあるコンちゃんの愛称で親しまれてい
る大村崑氏のお話を伺う機会がありました。

81歳とは思えないほどの若々しさで声にも張りがあり、非常に精力的
に活躍されているのをみて驚いたものです。

そのコンちゃんは、若い時に肺結核で片方の肺を切除されてから物凄
く健康に気を遣うようになり、人一倍努力して健康を維持されている
そうです。

皆さんも、季節の変わり目で体調を崩し易い時期ですが、お体を大切
になさって下さいね。

源太はいつも元気ですよ♪

源太は我が家の愛犬です。

 - 日本人の名言, 石橋正二郎

スポンサードリンク

スポンサードリンク

Message

  関連記事