吉川英治 日本人の名言

晴れた日は晴れを愛し・・・ / 吉川英治

投稿日:2013年1月11日 更新日:

2013.01.11-Vol.0557
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 晴れた日は晴れを愛し、

  雨の日は雨を愛す。

 楽しみあるところに楽しみ、

  楽しみなきところに楽しむ。

              <吉川英治>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

菩薩(ぼさつ)・・・
  (梵語bodhisattva 覚有情と訳す)

(1)〔仏〕さとりを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼
   および前世のそれを指して言った。後に、大乗仏教で、自利・
   利他を求める修行者を指し、自利のみの小乗の声聞(しょうも
   ん)・縁覚に対するようになった。また、観世音・地蔵のよう
   に、仏に次ぐ崇拝対象ともされる。菩提薩た(ぼだいさった)。

   以下、省略。

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※喫煙室(雑談コーナー)

吉川英治といえば、まず最初に思い浮かべるのが、昔読んだ代表作と
もいえる「宮本武蔵」である。

宮本武蔵は、言わずと知れた江戸時代初期の剣術家であり兵法家とし
て名を残している。二刀を用いる二天一流兵法の元祖である。

吉川英治は、戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する歴史作家
だが、皆さんも、一度は聞いたことのある「新書太閤記」や「新・平
家物語」、「宮本武蔵」「私本太平記」など、数多くの名作を残して
いる日本を代表する歴史作家の一人である。

また、多くの名言を残しているので、幾つかご紹介したい。

「人間とは、
 一日中に何百遍も菩薩となり悪魔となり、
 たえまなく変化している。」

「会う人、出会うもの、
 すべて我が師なり。」

「(もう駄目)
 それをふと、自分の心に出した時が、
 人生の難関は、いつもそこが最後となる。」

なかなか含蓄のある真理を突いた言葉ばかりであり、何度も読み返す
ごとに味わいに深みが出てくるのではないだろうか。

       ☆——————————☆

吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 – 1962年
(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。
神奈川県生まれ。

様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家
となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範
囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・
平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得
し、「国民文学作家」といわれる。

[経歴]

[生い立ち]

1892年(明治25年)8月11日(戸籍面は13日)、神奈川県久良岐郡中村
根岸(現在の横浜市)に、旧小田原藩士・吉川直広、イクの次男とし
て生れた。自筆年譜によると出生地は中村根岸となっているが、地名
としては中村根岸はなく旧地名で中村町で現在の横浜市中区山元町に
当たる。父・直広は県庁勤務の後小田原に戻り箱根山麓で牧畜業を営
みさらに横浜へ移って牧場を拓く。イクとは再婚で、先妻との間に兄
正広がいた。英治が生まれた当時、直広は牧場経営に失敗し、寺子屋
のような塾を開いていた。その後貿易の仲買人のようなことを始め、
高瀬理三郎に見出されて横浜桟橋合資会社を設立。一時期安定するが、
直広が高瀬と対立し、裁判を起こし敗訴すると、刑務所に入れられ出
所後は生活が荒れ、家運が急激に衰えていく。

山内尋常高等小学校に入学。当時騎手の馬屋に近く、将来は騎手にな
ることを考えていた。また10歳のころから雑誌に投稿をするようにな
り、時事新報社の少年誌に作文が入選した。家運が衰えたのはこのこ
ろで、異母兄と父との確執もあり、小学校を中退。いくつもの職業を
転々としつつ、独学した。18歳のとき、年齢を偽って横浜ドックの船
具工になったが、ドックで作業中船底に墜落、重傷を負う。

[人気作家への道]

1910年(明治43年)に上京、象眼職人の下で働く。浅草に住み、この
ときの町並みが江戸の町を書くにあたって非常に印象に残ったという。
またこのころから川柳をつくり始め、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」
に参加する。1914年(大正3年)、「江の島物語」が『講談倶楽部』誌
に3等当選(吉川雉子郎の筆名)するが、生活は向上しなかった。のち
に結婚する赤沢やすを頼って大連へ行き、貧困からの脱出を目指した
が変わらず、この間に書いた小説3編が講談社の懸賞小説に入選。192
1年(大正10年)に母が没すると、翌年より東京毎夕新聞社に入り、次
第に文才を認められ『親鸞記』などを執筆する。

関東大震災により東京毎夕新聞社が解散すると、作品を講談社に送り
様々な筆名で発表し、「剣魔侠菩薩』を『面白倶楽部』誌に連載、作
家として一本立ちする。1925年(大正14年)より創刊された『キング』
誌に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣難女難」で人気を得
た。このとき本名の「吉川英次」で書くように求められたが、作品が
掲載される際に出版社が名を「英治」と誤植してしまったのを本人が
気に入り、以後これをペンネームとするようになった。キング誌は講
談社が社運をかけた雑誌だが、新鋭作家吉川英治はまさに期待の星で
あり、「坂東侠客陣」「神洲天馬侠」の2長編を発表し、多大な読者を
獲得した。執筆の依頼は増え、毎日新聞からも要請を受け、阿波の蜂
須賀重喜の蟄居を背景とした傑作「鳴門秘帖」を完成させた。これを
収録した『現代大衆文学全集』もよく売れ、また作品も多く映画化さ
れた。

[『宮本武蔵』の誕生]

こうして巨額な印税が入ったが、貧しいときから寄り添っていた妻や
すは、この急激な変化についていけず、次第にヒステリーになってい
く。これを危惧し、印税を新居に投じ、さらに養女をもらい家庭の安
定を図った。こののち、『万花地獄』『花ぐるま』といった伝奇性あ
ふれる小説や、『檜山兄弟』『松のや露八』などの維新ものを書く。
しかし妻のヒステリーに耐えかね、1930年(昭和5年)の春に半年ほど
家出し、この間『かんかん虫は唄ふ』などが生まれた。このころから
服部之総と交友を結ぶ。1933年(昭和8年)、全集の好評を受け、大衆
文学の研究誌・衆文を創刊、1年続き純文学に対抗する。松本学の唱え
る文芸懇談会の設立にも関わり、また青年運動を開始し、白鳥省吾・
倉田百三らと東北の農村を回り講演を開いた。1935年(昭和10年)『
親鸞』を発表。同年の8月23日から「宮本武蔵」の連載を始め、これが
新聞小説史上かつてない人気を得、4年後の1939年(昭和14年)7月21
日まで続いた。剣禅一如を目指す求道者宮本武蔵を描いたこの作品は
、太平洋戦争下の人心に呼応し、大衆小説の代表作となる。

1937年(昭和12年)、やすと離婚、池戸文子と再婚する。1939年2月よ
り「新書太閤記」を連載。7月の「宮本武蔵」完結後、8月より「三国
志」を連載。個人を追究したものから、2作品は人間全体を動かす力を
描こうとしているのがうかがえる。『宮本武蔵』終了後も、朝日新聞
からは連載の依頼が続き、「源頼朝」「梅里先生行状記」など歴史に
名を残す人物を描いた作品を発表した。

1942年 (昭和17年)、海軍軍令部の勅任待遇の嘱託となり、海軍の戦史
編纂に携わっていた。山口多聞、加来止男の戦死を受けて、「提督と
その部下」を朝日新聞に執筆し、安田義達の戦死後は「安田陸戦隊司
令」を毎日新聞夕刊に連載している。

[敗戦後の活動]

敗戦後は、その衝撃から筆を執ることができなくなってしまった。親
友の菊池寛の求めでようやく書き始め、『高山右近』『大岡越前』で
本格的に復活する。ただしこのころ、『宮本武蔵』の版権をめぐって
講談社と六興出版(英治の弟晋が勤めていた)との間で騒動が起きた
。1950年(昭和25年)より、敗れた平家と日本を重ねた「新・平家物
語」の連載を開始する。連載7年におよぶ大作で、この作品で第1回菊
池寛賞を受賞。また『文藝春秋』からの強い要望で、1955年(昭和30
年)より自叙伝「忘れ残りの記」を連載。なおこのころ身を隠してい
た辻政信に会い、逃亡資金を渡している。『新・平家物語』終了後は
、「私本太平記」「新・水滸伝」を連載する。『私本太平記』は、従
来逆賊といわれてきた足利尊氏の見方を改めて描く。1960年(昭和35
年)文化勲章受章。しかし通俗作家と見なされ、芸術院には入れられ
なかった。

「私本太平記」の連載終了間際に肺がんにかかり、翌年夏にがんが転
移し悪化。1962年(昭和37年)9月7日、肺がんのため築地国立がんセ
ンターで死去。70歳。法名は、崇文院殿釈仁英大居士。従三位勲一等
に叙せられ、瑞宝章を贈られた。疎開先だった東京都青梅市に、吉川
英治記念館がある。なお東京都港区赤坂にあった旧吉川邸は講談社の
所有となり、(同社での企画出版のための)泊まり込みでの執筆や、
座談・打ち合わせに使用された。

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉川英治の本
自己啓発書のベストセラー

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■読者の声

●本行善一様から興味深いメールを頂きました。
抜粋してご紹介させて頂きます。
本行様、こちらこそ有難うございました。

             ☆・・・☆

初めまして。
あけましておめでとうございます。
宮口様のメルマガ、先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集
」いつも楽しみにしています。

ご参考になるかもしれないので、日頃の感謝を込めて、旅先の京都で
発見した西郷隆盛(南洲)さん書の掛け軸のことを書きます。

昨日之非不可留 昨日(さくじつ)の非は留むべからず
今日之是不可執 今日(こんにち)の是(ぜ)は執るべからず

桂小五郎(後の木戸 孝(たか)允(よし))が長持ちに隠れて新撰組から
逃れた幾松という、京都鴨川に廊下の下の隠し階段から逃れられる、
入り口は木屋町通りの料亭の部屋の床の間に西郷南洲(隆盛)の書と
いう掛け軸が掛かっていました。人物の取り合わせが面白かったのと、
南洲が書いたという本人にとっての意味が深く思え、調べました。

原文

昨日之非。不可留。留之則根燼復萌。而塵情終累乎理趣。今日之是。
不可執。執之則渣滓未化。而理趣反轉為欲根。

詳しくは知りませんが、一体いつの時期の西郷さんが書いたものか、
それがなぜ長州藩ゆかりの料亭に掛かっているのか。

自分は想像するだけですが、わくわくしました。

             ☆・・・☆

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?

初詣には行かれましたか?私は行けなかったので、今日11日に上川神
社の「どんど焼き」に行ってきます。

相変わらず、雪と寒さで大変な旭川です。11日午前5時の気温は-17℃。
今年の風邪は長引く方が多いということです。お体を大切になさって
下さいね。

ん~、何故源太は風邪をひいたことが無いのでしょう・・・^^?

源太は我が家の愛犬です。

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

■今号はいかがでしたか?
驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ!
⇒ http://clap.mag2.com/sloulaiphu/input

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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