ウィリアム・シェイクスピア 外国人の名言

かの怪物、習慣というものは、感覚を食い尽くし・・・ / ウィリアム・シェイクスピア

投稿日:2019年1月11日 更新日:

2019.01.11-Vol.0873
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 かの怪物、習慣というものは、感覚を食い尽くし、

  悪魔のように振舞うが、また天使のようでもある。

 良い行いを続ければ、すぐにそれに相応しい 衣服を与えてくれる。

  今夜は控えなさい。そうすれば、次の節制は楽になる。

   その次はもっと楽になる。

 習慣は生まれながらの性格を変えてくれる、

  そして驚くような自制心で、悪魔を御すようになる。

   あるいは悪魔を放り出してしまうだろう。

              <ウィリアム・シェイクスピア>

 That monster, custom, who all sense doth eat,
 Of habits devil, is angel yet in this,
 That to the use of actions fair and good,
 He likewise gives a frock or livery, That aptly is put on.
 Refrain to-night, And that shall lend a kind of easiness
 To the next abstinence: the next more easy;
 For use almost can change the stamp of nature,
 And either master the devil, or throw him out
 With wondrous potency

              <William Shakespeare>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

独白(どくはく)・・・

(1)劇で、ある役が心中に思っていることなどを観客に知らせるため
   、相手なしで語ること。また、そのせりふ。モノローグ。
(2)ひとりごと。

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※喫煙室(雑談コーナー)

シェークスピアの言葉で夙に有名なのが以下の名言である。

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」
<To be, or not to be: that is the question>

皆さんもご存知のシェークスピアの四大悲劇の一つ、「ハムレット」の
中の独白で、進退に思い悩んでつぶやいた言葉である。

直訳すると、「なすべきかなさざるべきか、それが問題だ」ということ
になりそうだが、概して、「生きるべきか・・・」の名訳が一般的で独
り歩きをしているようである。

今日の名言も「ハムレット」に出てくる有名な言葉である。
習慣の大切さをこれほど的確に説いた名言を私は他に知らない。

人生は選択と決断の連続である。

人生の岐路で選択に迷った時の決断法と名言を探ってみた。

1.自分にとって損か得か?
2.楽しいか楽しくないか?
3.リスク&リターンは?
4.自信がある方を選ぶ
5.後悔しない方を選ぶ
6.1ヶ月後1年後を考える
7.同じ選択肢で悩んだ先輩に聞く

★自らの情熱の火をともせ。
 失敗、非難、批判を恐れずに目標を追求せよ。
 <アリ・キエフ>

★決断とは、目的を見失わない決心の維持にほかならない。
 <ドワイト・アイゼンハワー>

★大切なのは、どっちを選ぶかじゃなくて、早く決断すること。
 <石川光久>

★どんな瞬間にも、人間は決断しなければならない。
 <ヴィクトール・フランクル>

★敗北は最悪の失敗ではない。やろうとしなかったことが本当の失敗だ。
 <ジョージ・エドワード・ウッドベリー>

★環境選びは慎重にしましょう、友達選びも慎重にしましょう。
 <W・クレメント・ストーン>

★神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。
 挑戦することを望んでいるだけ。
 <マザー・テレサ>

★自分の思考に気をつけなさい。それはいつか言葉となるから。
 自分の言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
 自分の行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
 自分の習慣に気をつけなさい。それはいつか人格になるから。
 自分の人格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
 <老子>

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ウィリアム・シェイクスピア

ウィリアム・シェイクスピア(英語: William Shakespeare, 1564年4月
26日(洗礼日) – 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))は、イング
ランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人
物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も
優れた英文学の作家とも言われている。また彼の残した膨大な著作は、
初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっている。

出生地はストラトフォード・アポン・エイヴォンで、1585年前後にロン
ドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。1612年ごろに
引退するまでの約20年間に、四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、
『オセロ』、『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』、『ヴェ
ニスの商人』、『夏の夜の夢』、『ジュリアス・シーザー』など多くの
傑作を残した。『ヴィーナスとアドーニス』のような物語詩もあり、特
に『ソネット集』は今日でも最高の詩編の一つと見なされている。

2002年BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第5位となった。

「シェイクスピア」の日本における漢字表記(借字)は「沙吉比亜」だ
が、これは中国での表記「莎士比亞」(繁体字での表記で、簡体字では
「莎士比並」)の「莎」を「沙」と、「亞」を「亜」と略し、「士」の
代わりに「吉」を用いたもの。「沙翁」と呼ばれることもある。

[生涯]

[前半生]

ウィリアム・シェイクスピアは1564年にイングランド王国のストラトフ
ォード・アポン・エイヴォンに生まれた。父ジョン・シェイクスピアは
スニッターフィールド出身の成功した皮手袋商人で、町長に選ばれたこ
ともある市会議員であった。母メアリー・アーデンはジェントルマンの
娘であり、非常に裕福な家庭環境であった。2人は1557年ごろに結婚し、
ヘンリー・ストリートに居を構えていた。ウィリアムの正確な誕生日は
不明であるが、1564年4月26日に洗礼を受けたことが記録されている。

エリザベス朝時代には出生証明書が発行されていなかったので、これが
シェイクスピアに関する最古の公的記録となる。洗礼式は生誕後3日以内
に行なうのが当時の通例であったため、伝統的に誕生日は4月23日とされ
てきたが、直接これを示す歴史的な証拠にもとづいているわけではない
。この日は聖人暦においてイングランドの守護聖人である聖ゲオルギオ
ス(聖ジョージ)を記念する聖ジョージの日にあたるため、イングラン
ドの最も偉大な劇作家にふさわしい日であることや、シェイクスピアは
1616年の4月23日(グレゴリオ暦では5月3日)に没しているため、誕生日
も4月23日であったとすると対称になることなどがこの推定を支持してい
る。

シェイクスピアの両親には全部で8人の子供がいた。ジョン(1558年)、
マーガレット(1562年 – 1563年)、ウィリアム、ギルバート(1566年 –
1612年)、ジョーン(1569年 – 1646年)、アン(1571年 – 1579年)、
リチャード(1574年 – 1613年)、エドモンド(1580年 – 1607年)であ
る。

シェイクスピアの父はウィリアムの生まれたころには裕福であったが、
羊毛の闇市場に関わった咎で起訴され、市長職を失った。いくつかの証
拠から、父方、母方の両家ともローマ・カトリックの信者であった可能
性が推測されている。

シェイクスピアはストラトフォードの中心にあったグラマー・スクール
、エドワード6世校(英語版)に通ったであろうと推定されている。校名
に冠されているエドワード6世と学校の設立の起源になんら関係はなく、
創設に関与したのはローマ・カトリックであり、エドワード6世の時代を
大きく遡る15世紀初頭に開校されている。エリザベス朝時代のグラマー
・スクールは学校ごとに教育水準の高低差はあったが、この学校はラテ
ン語文法や文学について集中学習が行なわれていた。講義の一環として
学生たちはラテン演劇の洗礼を受ける。実際に演じてみることでラテン
語の習熟に役立てるためである。

シェイクスピアの最初期の戯曲『間違いの喜劇』にプラウトゥスの戯曲
『メナエクムス兄弟』 (“The Two Menaechmuses”) との類似性があるこ
とも、シェイクスピアがこの学校で学んだと推測される根拠の一つであ
る。1482年にカトリックの司祭によってこの学校がストラトフォードに
寄贈されて以来、地元の男子は無料で入学できたこと、父親が町の名士
であったためそれなりの教育は受けていただろうと考えられることなど
がその他の根拠である。家庭が没落してきたため中退したという説もあ
るが、そもそもこの学校の学籍簿は散逸してしまったため、シェイクス
ピアが在籍したという確たる証拠はなく、進学してそれ以上の高等教育
を受けたかどうかも不明である。

1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは26歳の女性アン・ハサウェイ
と結婚した。ある公文書において彼女はストラトフォードにも近い「テ
ンプル・グラフトンの人」と誤記されている[注 1]ので、結婚式がそこ
で行なわれた可能性が高い。ハサウェイ家の隣人であるフルク・サンダ
ルズとジョン・リチャードソンが、結婚には何の障害もなかったという
保証書を書いている。このときすでにアンは妊娠3ヶ月だったため、式次
第を急ぐ必要があった模様である。

1583年5月26日、ストラトフォードで長女スザンナの洗礼式が執り行なわ
れた。1585年には長男ハムネットと、次女ジュディスの双子が生れ、2月
2日に洗礼が施された。2人の名はシェイクスピアの友人のパン屋、ハム
ネット・セドラーとその妻ジュディスにちなんで付けられた。ハムネッ
トは1596年に夭折し、8月11日に葬儀が行なわれた。

結婚後、ロンドンの劇壇に名を現わすまでの数年間に関するその他の記
録はほとんど現存していない。双子が生まれた1585年からロバート・グ
リーンによる言及のある1592年(後述)までの7年間は、どこで何をして
いたのか、なぜストラトフォードからロンドンへ移ったのかなどといっ
た行状が一切不明となっているため、「失われた年月」 (The Lost Yea
rs) と呼ばれる。この間の事情については、「鹿泥棒をして故郷を追わ
れた」「田舎の教師をしていた」「ロンドンの劇場主の所有する馬の世
話をしていた」など、いくつかの伝説が残っているがいずれも証拠はな
く、これらの伝説はシェイクスピアの死後に広まった噂である。

シェイクスピアがランカシャーで教職についていたという説は、1985年
にE・A・J・ホニグマンによって提唱されたもので、ホートン家の人物が
記した遺言書にもとづいている。この中に戯曲や舞台衣装についての言
及と、「現在同居しているウィリアム・シェイクシャフト (William Sh
akeshaft) 」の面倒を見てやってほしいという親族への要請があり、こ
のシェイクシャフトなる人物こそシェイクスピアのことではないかとい
うものである。

ストラトフォード出身のシェイクスピアとランカシャーのホートン家を
結びつけるのは、かつてシェイクスピアの教師であったジョン・コット
ンである。ランカシャーの生まれでホートン家の隣人であったコットン
がシェイクスピアを教師として推薦したとホニグマンは主張している。
マイケル・ウッドは、約20年後にシェイクスピアのグローブ座株式の受
託者となるトマス・サヴェッジがその遺言書の中で言及されている隣人
と結婚していることから、何らかの関係をもっていたであろうことをつ
け加えているが、シェイクシャフトという姓は当時のランカシャーでは
ありふれたものであったとも述べている。

[ロンドンの劇壇進出]

1592年ごろまでにシェイクスピアはロンドンへ進出し、演劇の世界に身
を置くようになっていた。当時は、エリザベス朝演劇の興隆に伴って、
劇場や劇団が次々と設立されている最中であった。その中で、シェイク
スピアは俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになる。15
92年にはロバート・グリーンが著書『三文の知恵』 (“Greene’s Groats
worth of Wit”) において、「役者の皮を被ってはいるが心は虎も同然の
、我々の羽毛で着飾った成り上がりのカラスが近ごろ現われ、諸君の中
でも最良の書き手と同じくらい優れたブランク・ヴァースを自分も紡ぎ
うると慢心している。たかが何でも屋の分際で、自分こそが国内で唯一
の舞台を揺るがす者 (Shake-scene) であると自惚れている」と書いてお
り、他の作家から中傷されるほどの名声をこのときにはすでに勝ち得て
いたことが知られている。

1594年の終わりごろ、シェイクスピアは俳優兼劇作家であると同時に、
宮内大臣一座として知られる劇団の共同所有者ともなっており、同劇団
の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなった。当時の他の
劇団と同様、一座の名称はスポンサーであった貴族の名前から取られて
おり、この劇団の場合には宮内大臣がパトロンとなっていた。1603年に
エリザベス1世が死去してジェームズ1世が即位したさい、この新国王が
自ら庇護者となることを約束したため国王一座へと改称することになる
ほど、シェイクスピアの劇団の人気は高まっていた。シェイクスピアの
著作からは、作中に登場するフレーズや語彙、演技についての言及に鑑
みても、実際に俳優であったことが見て取れるが、その一方で劇作法に
ついての専門的な方法論を欠いている。

高等教育を欠いてはいたものの、シェイクスピアは長らくジェントルマ
ンの地位を求めていた。まだ裕福であったころシェイクスピアの父は紋
章を取得するために紋章院へ嘆願をしており、もし受理されればこの紋
章は息子であるシェイクスピアが受け継ぐことになるものであった。俳
優のシェイクスピアには紋章を得る資格がなかったが、ストラトフォー
ドの役人であり妻の生まれもよかった父ジョン・シェイクスピアは充分
に資格を備えていた。

しかし一家の財政が傾いていたためになかなか望みを叶えることができ
なかったのである。1596年に再び申請をはじめ、シェイクスピア家は紋
章を手にすることができた。おそらくシェイクスピア自身が経済的に大
きな成功を収めていたためである。紋章に記された銘は “Non sanz dr
oict” (フランス語で「権利なからざるべし」)であったが、これはお
そらく銘を考案したシェイクスピアのある種の守勢や不安感を示してい
る。社会的地位や名誉の回復といったテーマが彼の作品のプロットにお
いて頻出するようになるが、シェイクスピアは自分の切望していたもの
を自嘲しているようである。

1596年にビショップスゲイトのセント・ヘレン教区へ転居。1598年にグ
ローブ座で初演されたベン・ジョンソンの『十人十色(英語版)』では
、出演者一覧の最上段にシェイクスピアの名前が記載されており、俳優
としての活動も盛んであったことが見て取れる。また1598年ごろから、
それまでは匿名のまま刊行されることが多かったシェイクスピアの四折
判のタイトル・ページに著者名が記されるようになったが、シェイクス
ピアの名前がセールスポイントになるほどの人気を確立していた事が窺
われる。

シェイクスピアは国王一座で上演する戯曲の多くを執筆したり、劇団の
株式の共同所有者として経営に関与したりするかたわら、俳優業も継続
して『ハムレット』の先王の幽霊や、『お気に召すまま』のアダム、『
ヘンリー五世』のコーラスなどを演じたといわれる。

シェイクスピアは1599年内にテムズ川を渡ってサザックへ転居したと見
られる。1604年には家主の娘の仲人をつとめた。この娘の結婚が原因で
1612年に起きた裁判の記録にシェイクスピアの名前が登場する。この文
書によると、1604年にシェイクスピアはユグノーの髪飾り職人クリスト
ファー・マウントジョイの借家人となっていた。マウントジョイの見習
いであったスティーヴン・ベロットがマウントジョイの娘との結婚を望
み、持参金の委細について交渉してくれるようシェイクスピアに仲介を
頼んだ。シェイクスピアの保証により2人は結ばれたが、8年たっても持
参金が一部しか支払われなかったため、ベロットが義父に対して訴訟を
起こしたのである。この裁判において証人としてシェイクスピアが召喚
されたが、シェイクスピアは当時の状況に関してほとんど覚えていなか
った。

法的問題や商取引についてのさまざまな公文書によると、ロンドン在住
中にシェイクスピアは大きな経済的成功を収め、ロンドンのブラックフ
ライヤーズの不動産や、ストラトフォードで2番目に大きな邸宅ニュー・
プレイスを購入するまでになっていたことが分かる。

[晩年]

シェイクスピアは1613年に故郷ストラトフォードへ引退したと見られて
いる。

シェイクスピアの生涯最後の数週間に起きた事件は、次女ジュディスに
関わる醜聞であった。ジュディスの婚約者であった居酒屋経営者のトマ
ス・クワイニーが地元の教会裁判所で「婚前交渉」の嫌疑で告発された
のである。マーガレット・ホイーラーという女性が私生児を産み、その
父親がクワイニーであると主張してまもなく母子ともども死亡したので
ある。この一件でクワイニーの名誉は失墜し、シェイクスピアは自分の
遺産のうちジュディスへ渡る分がクワイニーの不実な行為にさらされる
ことのないよう遺言書を修正した。

[死]

1616年4月23日にシェイクスピアは52歳で没した。死因は腐りきったニシ
ンから伝染した感染症であるとされるが、詳細は不明である。誕生日が
4月23日であるという伝承が正しいならば、シェイクスピアの命日は誕生
日と同じ日ということになる。

[死後]

シェイクスピアはアン・ハサウェイを生涯の妻とし、2人の娘、スザンナ
とジュディスを残した。息子のハムネットは1596年に夭折している。ス
ザンナは医師のジョン・ホールと結婚し、2人の間に生まれた娘エリザベ
ス・ホールがシェイクスピア家の最後の1人となった。今日、シェイクス
ピア直系の子孫は存在しない。しかし、シェイクスピアが名付け親にな
ったウィリアム・ダヴェナントの実父がシェイクスピアではないかとい
う噂が囁かれたことがある。

ダヴェナント自身もシェイクスピアの庶子を自称している。ダヴェナン
トにはチャールズ・ダヴェナント(1656年 – 1714年、妻の名はフランセ
ス)とウィリアム・ダヴェナント(1657年 – 1681年)という2人の息子
がおり、ダヴェナントがシェイクスピアの落胤であることが事実なら、
2人の息子は非公式ではあるもののシェイクスピアの孫で、スザンナやハ
ムネット、ジュディスと血縁関係が生じ、シェイクスピアの血筋は少な
くとも18世紀の初めまで存続したことになる。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアム・シェイクスピアの本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「車が増え続け・・」

アメリカのお正月休みは元旦だけ、会社、学校も2日から通常通り。
車が増え、遂に道路中央もパーキング可能になりました。

左1車線は自転車専用のラインでヘルメット着用が義務付けられています。

日本で暗くなって歩いていると背後から突然自転車が横を通りすぎ、不
意打ちに遭い転倒などの怪我やハンドバッグを取られるなど危険を感じ
ました。

母と歩行者専用道路を歩いていた時、前から来た男子学生が突っ込みそ
うになり学生時代バスケットボールの選手だった母は両手で自転車を止
めました。

何も言わずその場を去ったマナーの悪い学生。
車、自転車共にマナーは守ってほしいと願います。

                 Keiko

※Keikoさんのお母様、さすがですね。運動神経が良いのですね。雪の降
る北海道では、さすがに自転車に乗っている方はほとんどいません♪

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

今冬に入って屋根の雪下ろしが2回、少なかった降雪量も平年並みに戻っ
たようです。旭川では-10℃前後の寒い日が続いています。せめて心だ
けは温かくしておきたいものです・・・!?

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

■今号はいかがでしたか?
驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ!
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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

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