内村鑑三 日本人の名言

日本に欠乏しているものは何か・・・ / 内村鑑三

投稿日:2018年11月16日 更新日:

2018.11.16-Vol.0864
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 日本に欠乏しているものは何か。

  それは富ではない。知識ではない。

   才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。

 日本に欠けているのは「生きた確信」である。

  真理そのものを愛する「情熱」である。

   この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である。

              <内村鑑三>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

確信(かくしん)・・・かたく信じて疑わないこと。

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※喫煙室(雑談コーナー)

時、折しもNHKの大河ドラマで「西郷どん(せごどん)」が放映されてい
るが、キリスト教思想家である内村鑑三は、その著書「代表的日本人」
の中で5人の人物を挙げている。

内村鑑三は、「代表的日本人」として最初に西郷隆盛を挙げている。続
き上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげその生涯を叙述し
ている。

これは、日清戦争の始まった1894年に書かれた本書は岡倉天心『茶の本
』,新渡戸稲造『武士道』と共に,日本人が英語で日本の文化・思想を
西欧社会に紹介した代表的な著作であるという書評である。

17歳の時に北海道大学の前身である札幌農学校に進学しキリスト教に出
会うことになるが、私のような北海道に住む人間にとって札幌農学校と
言えば非常に身近な存在であり、すぐに思い起こすのは初代教頭(事実
上の校長)として招かれたウィリアム・スミス・クラーク博士の「Boys,
be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という言葉である。

因みに、札幌農学校の一期生として佐藤昌介(北海道帝国大学初代総長
)や渡瀬寅次郎(東京農学校講師、実業家)、二期生として新渡戸稲造
(教育者)、内村鑑三(思想家)、広井勇(土木工学)、宮部金吾(植
物学)、伊藤一隆(中川翔子高祖父)らを輩出し、のちの日本の発展に
大きく寄与することになるのである。

以下、内村鑑三の名言を幾つか拾ってみよう。

「懐疑は思想の過食よりくる脳髄の不消化症なり。」

「自然の自然は自然なり。自然主義者の自然は不自然なり。」

「家庭は日本最大多数に取りては
 幸福なる処(ところ)ではなく忍耐の処である。」

「最悪の平和も最善の戦争にまさる。」

「競争的進歩は人類一般の損害にして利益に非ず。
 進歩の如く見えて退歩せり。
 真正の進歩は愛憐(あいれん)の結果なり。」

「真理を証するもの三つあり、すなわち天然と人と聖書。」

「我々は後世に遺すものは何もなくとも、
 我々に後世の人に
 これぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、
 アノ人はこの世の中に活きているあいだは
 真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを
 後世の人に遺したいと思います。」

「一日一生。一日は貴い一生である。これを空費してはならない。」

「人生の成功とは、自分の天職を知って、之を実行する事である。」

「独立とは、自分自身の能力を自覚して、
 それを現実化することである。」

「恐るべき者は宗教家にあらず、
 彼らは時代の子なり、神の僕に非ず、
 彼らは時代の思潮に逆いて何事をも為し得る者に非ず。」

「信仰は信仰に由(よ)りて維持するに能(あた)わず、
 信仰は労働に由りてのみ能(よ)く維持するを得べし、
 信仰は根にして労働は枝なり。」

「婦人を遇する道は、その高貴なる品性をはげすにあり、
 その賤劣なる虚栄心に訴うるにあらず。」

「真の愛は悪に対する憎悪を十分に含むものである。
 仮面的の愛または浅き愛は、悪を憎むことを知らない。
 けれども深き真なる愛は、かくあることはできないのである。」

「人の生涯は、罪を侵しつつ死を前に望む恐怖の生涯である。
 罪の苦悶と死の恐怖と、
 この二つは、人が墓までたずさえ行くべき道づれである。

「東洋思想の一つの美点は、
 経済と道徳とを分けない考え方であります。」

「慾(よく)のための愛は、愛にあらず、
 愛は己(おのれ)の利を求めず。」

「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、
 平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。」

「書を読まざる日は損失の日なり。」

         ☆—————————————-☆

内村鑑三

内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭
和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道
者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆ
る無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。

[生涯]

[幼少期]<中略>

[札幌農学校時代]

明治10年(1877年)4月に東京英語学校は東京大学予備門と改称されて、
東京英語学校を終了すれば東京大学への進学が認められることになった
。しかし、内村が入学して3年後の明治9年(1876年)、北海道開拓に携
わる技術者を養成する目的で札幌農学校が創立された。内村は、北海道
開拓使の役人の演説と官費生の特典に心を動かされて、経済上の理由も
あり、札幌農学校への入学を決意する。札幌へ旅立つ前に、東京の芝で
1ヶ月の合宿をした。その時、東京大学予備門時代の同級・新渡戸稲造、
宮部金吾、岩崎行親らと立行社というグループを結成した。

内村ら第二期生が入学する前までに、農学校に教頭として在校していた
ウィリアム・スミス・クラークら、お雇い外国人の強い感化力によって
第一期生は既にキリスト教に改宗していた。初めはキリスト教への改宗
を迫る上級生に反抗していた内村も、新渡戸稲造と宮部金吾が署名した
ことがきっかけで、ついにほとんど強制的に立行社の岩崎行親と同じ日
に「イエスを信ずる者の契約」なる文書に署名させられる。内村はヨナ
タンというクリスチャンネームを自ら付けた。当時札幌には教会がなか
ったので、彼らは牧師の役を交代で務めた。そうして毎日曜日の礼拝を
学内で開き、水曜日には祈祷会を開いていた。改宗することによって、
若い内村は神社を見るたびに頭を下げずに済むようになったことを喜ん
だ。

明治11年(1878年)6月2日には、アメリカ・メソジスト教会のM.C.ハリ
スから洗礼を受ける。洗礼を受けた若いキリスト者達は、日曜日には自
分達で集会(「小さな教会」と内村は呼ぶ)を開き、幼いながらも真摯
な気持ちで信仰と取り組んだ。そして、メソジスト教会から独立した自
分達の教会を持つことを目標とするようになる。その学生の集団を札幌
バンドという。

在学中、内村は水産学を専攻し明治14年(1881年)7月、札幌農学校を農
学士として首席で卒業した。卒業の際、新渡戸、宮部、内村の3人は札幌
の公園で将来を二つのJのために捧げることを誓い合った。卒業後、宮部
は札幌農学校で教鞭を取るために東京大学に行き、新渡戸も農学校で教
鞭を取ることになったが、内村は北海道開拓使民事局勧業課に勤め、水
産を担当した。勤務の傍ら、札幌に教会を立て、それを独立させること
に奔走した。翌年に南2条西6丁目の古い家屋を購入して、札幌基督教会
(札幌独立キリスト教会)を創立する。また、明治14年(1881年1)0月
に結成された札幌YMCAの副会長になった。

明治15年(1882年)に開拓使が廃止されると、札幌県御用係になり、漁
業調査と水産学の研究を行った。ほどなく伝道者になるために県に辞職
願を提出した。同年6月に辞職願は受理された。その後、津田仙の学農社
農学校の教師になり、12月からは農商務省の役人として水産課に勤め、
日本産魚類目録の作成に従事した。同月の第三回全国キリスト信徒親睦
会には、札幌教会代表で有名な演説を行った。

[最初の結婚・離婚]<中略>

[アメリカ留学時代]<中略>

[教員時代]<中略>

[不敬事件]

明治23年(1890年)から、植村正久の一番町教会の長老・木村駿吉の推
薦により、第一高等中学校(現・東京大学教養学部、千葉大学医学部、薬
学部)の嘱託教員となった。

明治24年(1891年)1月9日、講堂で挙行された教育勅語奉読式において
、教員と生徒は順番に教育勅語の前に進み出て、明治天皇の親筆の署名
に対して、「奉拝」することが求められた。内村は舎監という教頭に次
ぐ地位のため、「奉拝」は三番目だったが、最敬礼をせずに降壇した。
このことが同僚・生徒などによって非難され社会問題化する。敬礼を行
なわなかったのではなく、最敬礼をしなかっただけなのだが、それが不
敬事件とされた。

事態の悪化に驚いた木下校長は、敬礼は信仰とは別の問題であると述べ
て、改めて内村に敬礼を依頼した。内村はそれに同意したが、悪性の流
感にかかっており本人が行けなかったので、代わりに木下駿吉が行った
。しかし、マスコミがこの事件を大きく取り上げ、「内村鑑三の不敬事
件」として全国に喧伝した。そうして、事件はキリスト教と国体の問題
へ進展した。

内村は悪性の流感により病床にあり、意識不明の状態だったが、2月に本
人に知らない間に、内村の名前で弁明書が数紙に掲載されたり、1月31日
には本人の名前で辞職願いが出されて、2月3日付けで依願解嘱された。
これがいわゆる「内村鑑三不敬事件」あるいは「第一高等中学校不敬事
件」である。

[加寿子の死]<中略>

[静子との再婚]<中略>

[新聞記者時代]<中略>

[『聖書之研究』時代]<中略>

[足尾銅山鉱毒問題]<中略>

[非戦論]

日清戦争は支持していた内村だったが、その戦争が内外にもたらした影
響を痛感して平和主義に傾き、日露戦争開戦前にはキリスト者の立場か
ら非戦論を主張するようになる。6月24日に東京帝国大学の戸水寛人ら7
人の教授が開戦を唱える建議書を提出し、それが公表されると、同月6月
に『戦争廃止論』を萬朝報に発表した。萬朝報も当初は非戦論が社論で
あったが、明治36年(1903年)10月8日、世論の主戦論への傾きを受けて
同紙も主戦論に転じると、内村は幸徳秋水、堺枯川と共に萬朝報を離れ
ることとなった。

萬朝報退社後も、『聖書之研究』を通じて非戦論を掲げていたが、明治
37年(1904年)2月には日露開戦にいたった。戦争中は、日本メソジスト
教会の本多庸一や日本組合教会の小崎弘道らキリスト教の多数派が主戦
論に傾いて積極的に戦争に協力したが、非戦論は内村や柏木義円などの
きわめて少数であった。内村はキリスト者の間でも孤立していたものの
、明治37年(1904年)のクリスマスを迎えた内村が、クリスマスは平和
主義者の日であって「主戦論者はこの日を守る資格を有せず」と述べた
ことについては、中里介山が内村の言葉に拍手喝采を送り、半年後に『
新希望』(『聖書之研究』の改題)に「予が懺悔」という文を寄せてい
る。

なお、戦争反対を強く訴えた内村だったが、彼の元に「徴兵拒否をした
い」と相談に来た青年に対しては、「家族のためにも兵役には行った方
がいい」と発言した。弟子の斎藤宗次郎が、内村に影響されて本気で非
戦論を唱え、「納税拒否、徴兵忌避も辞せず」との決意をした時には、
内村がわざわざ岩手県花巻の斎藤のもとを訪れ、説得して翻意させてい
る。この言動は「キリストが他人の罪のために死の十字架についたのと
同じ原理によって戦場に行く」ことを信者に対して求める、無教会平和
主義者の教理(「戦争自体に直面したときの無抵抗」)に基づいている。

内村は「一人のキリスト教平和主義者の戦場での死は不信仰者の死より
もはるかに価値のある犠牲として神に受け入れられる。神の意志に従わ
なければ、他人を自分の代りに戦場に向かわせる兵役拒否者は臆病であ
る」と述べて、弟子に兵役を避けないよう呼びかけた。また、「悪が善
の行為によってのみ克服されるから、戦争は他人の罪の犠牲として平和
主義者が自らの命をささげることによってのみ克服される」と論じた。
そして内村は「神は天においてあなたを待っている、あなたの死は無駄
ではなかった」という言葉を戦死者の弟子に捧げるとともに、若きキリ
スト教兵役者へは、個人の救いとしての「身体の復活」と社会の救いと
しての「キリストの再臨」の信仰に固く立つよう勧めた。

以上の内村の非戦論思想における、「戦争政策への反対」と「戦争自体
に直面したときの無抵抗」という二重表現は、あらゆる暴力と破壊に対
する抗議を表明すると同時に、「不義の戦争時において兵役を受容する
」という行動原理を明確にした。

[教友会の結成]<中略>

[幻の改訳聖書]<中略>

[社会主義批判]

また、教友会の結成が進み始めた頃より、内村は社会主義者に距離を置
くようになった。明治40年(1907年)2月には『基督教と社会主義』を小
型の「角筈パムフレット」として刊行し、キリスト者と社会主義者との
差を明確にした。明治41年(1908年)には社会主義者福田英子の聖書研
究会への出席を拒絶している。

内村は年を経るごとに、社会主義をさらに明確に批判していくようにな
り、大正4年(1915年)には、『聖書之研究』にて「社会主義は愛の精神
ではない。これは一階級が他の階級に抱く敵愾の精神である。社会主義
に由って国と国とは戦はざるに至るべけれども、階級と階級との間の争
闘は絶えない。社会主義に由って戦争はその区域を変へるまでである」
と主張した。

内村はキリスト者の立場から、他階級への抑圧を繰り返す社会主義の本
質的欺瞞を指摘するとともに、後の社会主義思想の退潮を予言する、厳
しい批判の言葉を残しているが、これらの言論をロシア革命以前から発
していたことは注目に値する。そして内村の社会主義批判の姿勢は、矢
内原忠雄ら内村の後継者の一部にも引き継がれることとなった。

[柏木時代]<中略>

[再臨運動時代]<中略>

[晩年]

大正11年(1922年)10月世界伝道協賛会を創設して、世界の伝道事業に
貢献する組織を作った。協賛会は毎月一回開かれて、世界の伝道のため
に祈り、献金が捧げられた。そして、同年暮れには、中国、台湾、南洋
諸島の伝道を援助するために送金された。

大正12年(1923年)7月7日に、自分の後継者と期待していた元弟子の有
島武郎が、人妻の波多野秋子と心中した。これを聞いた内村は『萬朝報
』に「背教者としての有島武郎氏」という文章を載せた。死の原因を「
コスミック・ソロー(宇宙の苦悶)」であるとのべ、激しい怒りを表明
した。同年9月1日の関東大震災では長野県沓掛に滞在中で震災を逃れた
が、2日に帰京した。内村の家族には被害がなかった。しかし、かれが心
血を注いで福音を語った「霊的戦闘のアリーナ」であった衛生会講堂を
失った。

大正13年(1924年)、同年に米国で可決された、排日法案に反対するた
めに、絶交状態にあった徳富蘇峰と和解して、『国民新聞』に何度も排
日反対の文を掲載した。また、植村正久や小崎弘道ら教会指導者と「対
米問題」について議論を重ねた。

大正15年(1926年)には、内村聖書研究会からアルベルト・シュヴァイ
ツァーに送金された。昭和2年(1927年)には、シュヴァイツァー後援会
を設けて、事業を積極的に支援した。

昭和3年(1928年)6月2日の受洗50周年記念に同期生の新渡戸稲造、広井
勇、一期生の伊藤一隆、大島正健らと一緒に青山墓地のハリスの墓参り
をした。同年7月から9月にかけて、北海道帝国大学の教授として札幌に
赴任していた祐之一家と共に札幌伝道を行った。無牧になっていたメソ
ジスト派の札幌独立キリスト教会で説教をし、伝道を助けた。 伝道を終
了するにあたって同教会の教務顧問に就任した。この頃から内村は体調
を崩し始めた。

内村の既存の教会に協力的な行動に対して反発した塚本虎二らと、無教
会主義の考えにおいて対立するようになった。昭和4年(1929年)暮れに
、塚本らとの対立は激化して、分離することになった。これが原因で、
内村はさらに病状を悪化させた。最晩年に師事したのが、大塚久雄であ
った。

昭和5年(1930年)1月20日に、柏木の聖書講堂で「パウロの武士道」に
ついて述べたのが公の場に出た最後であった。3月26日の内村の古希感謝
祝賀会には本人は出席できず、長男祐之が挨拶した。翌々日、3月28日朝
に「非常に調和がとれて居るがこれでよいのか」との言葉を最後に昏睡
状態に陥り、午前8時51分に家族に見守られて死去した。

4月6日に内村の遺言により、内村聖書研究会は解散式を行い、「聖書之
研究」は第357号をもって廃刊になった。<後略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

次回は11月26日の予定です。皆さん、お楽しみに♪

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