日本人の名言 翁長雄志

沖縄県内の米軍基地は・・・ / 翁長雄志

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★謹んで地震災害のお見舞いを申し上げます。

6日午前3時過ぎ、大きな横揺れに襲われ目が覚めました。旭川は震度4。北海道胆振管内厚真町を震源地とする震度7の地震に見舞われ死者を含む大きな被害を出しました。道内に6か所ある発電所が全て停止し、全道で停電が続いています。徐々に復旧していますが、旭川の私の住まいは本日午前6時過ぎに復旧しました。まだまだ大きな余震や地滑りなど今後1~2週間は予断が許されません。
被災地域の皆様のご無事とご健康を願わずにはいられません。

2018.09.07-Vol.0854
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 沖縄県内の米軍基地は、

  第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。

   沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。

 沖縄は日本国土の〇.六%の面積しかありませんが、

  在日米軍専用施設の七三.八%が存在しています。

 戦後七〇年間、

  いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が

   県民生活に大きな影響を与え続けています。

 このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。

 自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、

  どうして世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか。

              <翁長雄志>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

民主主義(みんしゅしゅぎ)・・・

(democracy)語源はギリシア語のdemoktatiaで、demos(人民)とkratia
(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使す
るという考えとその政治形態。古代ギリシアの都市国家に行われたもの
を初めとし、近世に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的
人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる
属性であり、また、その実現が要請される。山路愛山、社会主義管見「
第一の要件は―を土台にした政府を作ることである」

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※喫煙室(雑談コーナー)

「今日の名言」に次の言葉が続く。

「私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。」
(翁長雄志『戦う民意』KADOKAWAより)

沖縄の戦後の苦難は今も続いているのである。

私の友人でもあるTBSの報道記者であり、「報道特集」のニュースキャス
ターをされている金平茂紀(かねひら・しげのり)氏から、以前「沖縄
ワジワジー通信」という本を贈られて興味深く読ませていただいたこと
がある。

沖縄問題に造詣の深い記者で、今も関わり続け沖縄をこよなく愛する沖
縄大好き人間である。

翁長沖縄県知事の死去に際して金平氏が感じたことを前述の続編として
沖縄タイムスに連載している「金平茂紀の新・ワジワジー通信」(37)に
連載している記事から一部転載させていただく。

          —————————————-

 翁長雄志知事が8日、急逝された。享年67歳。すい臓がんとの壮絶な闘
病の末の死だった。がんが発見されたのは今年4月。いかにも早過ぎる。
僕は翁長さんより3歳下の北海道生まれのヤマトゥンチューだ。

 報道の仕事ばかり41年も続けてきた。だが、これほどきちんと筋を通
した政治家に出会えたことを本当に誇りに思う。今の国政レベルにはこ
んな政治家はいない。命を削るようにして翁長さんは沖縄の人々の誇り
と矜持を守り抜いた。時には本土政府の理不尽な「いじめ」「差別意識
」に抗いながら、安易に阿る凡百の政治家とは明らかに異なる道を歩ん
で、誇り高い生き方とは何かを身をもって示された。

 僕は前号の本欄でこう記した。〈沖縄戦没者追悼式の進行をリハーサ
ルの段階から刻々と見ていた僕は、とても複雑な思いに苛まれた。この
式典の進行の先には、より大きな深刻な帰結が待ち構えているように思
えてならなかったのだ〉(7月5日付本紙 知事壮絶、命がけの訴え 73
年目の慰霊の日 「新・ワジワジー通信」より)。その「より大きな深
刻な帰結」は突如やって来た。6月23日のあの壮絶な訴え、そして公の前
に姿を見せた最後の場となった7月27日の県庁記者会見(辺野古埋め立て
承認撤回プロセスを開始するとの内容。死のわずか12日前だ!)を経て
、翁長さんの死は、遠くではないいつか、残念ながらきっとやってくる
のではないかとの思いを、多くの県民が心の底に抱いていたのではなか
ったか。

 僕は翁長さん死去の知らせを那覇空港に着陸する直前の飛行機内で受
け取った。信頼している友人がメールしてきてくれた。午後7時23分。
体から力が抜けていくような感覚に襲われた。そのまま亡くなられた直
後の浦添総合病院に直行した。正直かなり動揺していた。翁長さんをこ
こまで追い込んだのは誰だったか。翁長さんがこうなることの心の準備
はできていたのか。これから翁長さんの遺志を誰がどのように継いでい
くのか。いくつもの問いが心の中を行き交っていた。翁長さんの亡きが
らを乗せた乗用車が病院を出て行った。駆けつけた市民から「翁長さん
、ありがとう!」という叫びが上がった。その女性にインタビューして
いたら鈍い振動が体に伝わってきた。オスプレイだ。病院の上空をオス
プレイが飛行していった。時計を見ると午後10時半を過ぎていた。これ
が翁長さんが亡くなった夜の現実だ。

 お通夜、県民大会、告別式、その後の県知事選に向けた生臭い動きを
取材して見えてきたものは、翁長さんのあまりにも大きかった存在感だ
った。だからこそ亡くなった後の喪失感も大きい。なぜ翁長さんは最後
までぶれなかったのか。それを伝える報道が本当の所少ないのではない
かと思う。世の中には、死去の意味をきちんと報じないまま、早く忘れ
去り、「次は選挙だ!」とばかり、状況の移行をセットしたがる輩がい
るものだ。まるで沖縄戦の記憶を早く過去のものだとしたいかのように。

 翁長さんは元々、保守政治家だった。それが政府に抗うようになった
きっかけは何だったのか。ここでは三つのことを記しておく。一つは20
07年の教科書検定の際に、沖縄戦のさなか日本軍から強制された住民の
「集団自決(強制集団死)」の記述が削除されたことへの強い怒りがあ
った。これはご本人が語っていたことだ。「日本政府はこういうことま
でやるのか」と。さらに、2013年4月28日、政府が鳴り物入りで開催した
「主権回復の日」の祝賀式典。沖縄にとってはこの日はサンフランシス
コ講和条約締結によって日本から切り離されアメリカ軍政下に入った「
屈辱の日」である。それを単純にことほぐ本土政府の浅薄さと非情さ。
そして同じ年にオスプレイ配備反対、普天間基地県内移設反対の「建白
書」を携えて上京しデモ行進をした際に、銀座で遭遇したヘイトの言葉
。「売国奴」「日本から出ていけ」「中国のスパイ」などという暴言を
翁長さんは直接浴びせられた。そうした動きと並行して、辺野古新基地
工事の強硬な進め方に、翁長さんは沖縄に対する本土政府およびそれを
支持する本土国民の、沖縄に対する無関心、本能的な蔑み、いじめのよ
うな差別意識を体感したのではないか。沖縄人としての健全な郷土愛=
沖縄ナショナリズムが強靱なものとなったのだろう。それが「イデオロ
ギーよりアイデンティティー」という言葉に結実した。

 現在の政権は、翁長知事が就任早々上京した際も面会しようとしなか
った。何と幼稚な振る舞いだ。国政選挙で辺野古反対の民意が示される
や、その投開票日の翌朝に工事を再開させるようなことを何度もやって
きた。こうした彼らがやってきたことを考えると、よくも葬儀に顔を出
せたものだと僕は思う。

 7月27日の最後の記者会見に臨む前、翁長さんは妻の樹子さんに珍しく
弱音を吐いたという。一つは体力の極端な落ち込みがあった。3メートル
歩いては休み、また3メートル歩いては休むという限界に近い状態だった
。「記者たちの質問にちゃんと答えられるかどうか心配だな」。これま
で翁長さんはそんなことを一度も言ったことはなかった。樹子さんは「
これは大事なことだからあなたにはできるよ」と励まして送り出した。
会見では30分以上、翁長さんが喋(しゃべ)っていた。質疑応答もこな
した。会見後の映像を見ると足元がふらついていた。この頃は口内炎が
多発していて水を飲むことさえしんどかったという。入棺の際、身に着
けていたかりゆしの襟元が輸血管等でできた傷口からの血でみるみる染
まっていった。父親の翁長助静さんは元真和志市長。沖縄戦を生き延び
た政治家、歌人で、沖縄で最初の慰霊塔「魂魄の塔」を建立した住民の
一人でもあった。翁長雄志さんは、娘さんにはこう語っていたそうだ。
「僕はおじいちゃん(父親の助静氏)の役職は越えたけれど、人間的に
は越えられなかったなあ」。いや、沖縄戦の歴史とアイデンティティー
の伝承は、翁長雄志という郷土をこよなく愛した政治家によって、確実
に成し遂げられた。合掌。

         ☆—————————————-☆

翁長雄志

翁長 雄志(おなが たけし、1950年10月2日 – 2018年8月8日)は、日本
の政治家。沖縄県那覇市長(4期)、沖縄県知事(本土復帰後第7代)を
歴任。

[人物]

1985年から政治家としての活動を続けてきた。那覇市議会議員(2期)→
沖縄県議会議員(2期)を経て、那覇市長、沖縄県知事を歴任した。

父は元沖縄県真和志村長の翁長助静、兄は沖縄県副知事・沖縄県議会議
員を務めた翁長助裕。次男は那覇市議会議員の翁長雄治である。

[経歴]

・1950年(昭和25年)10月2日- 真和志村(真和志市→現:那覇市)大道
に翁長助静の三男として生まれる。
・1963年(昭和38年)- 那覇市立大道小学校卒業
・1966年(昭和41年)- 那覇市立真和志中学校(18期)卒業
・1969年(昭和44年)- 琉球政府立那覇高等学校(22期)卒業
・1975年(昭和50年)- 法政大学法学部卒業
・1985年(昭和60年)- 那覇市議会議員に初当選(1期)
・1989年(平成元年)- 那覇市議会議員に再選(2期)
・1992年(平成4年)- 沖縄県議会議員に初当選(1期)
・1996年(平成8年)- 沖縄県議会議員に再選(2期)
・2000年(平成12年)- 第28代那覇市長に就任(1期)
・2004年(平成16年)- 第29代那覇市長に就任(2期)
・2008年(平成20年)- 第30代那覇市長に就任(3期)
・2012年(平成24年)- 第31代那覇市長に就任(4期)
・2014年(平成26年)
 ・10月3日 – 沖縄県知事選挙立候補のため那覇市長を辞職。
 ・12月10日 – 沖縄県知事選挙の結果により、仲井眞弘多の任期満了を
  もって第7代沖縄県知事に就任(1期)。
・2018年(平成30年)
 ・5月15日 – 4月に行った膵臓の腫瘍の病理検査でステージ2の膵がん
  であることを公表し、治療と体力の回復を進めながら公務復帰を目
  指すことを明らかにした(後に公務復帰)。
 ・8月8日 – 沖縄県が記者会見を行い、同月12日まで謝花喜一郎副知事
  、同月13日から富川盛武副知事が職務代理を務めることを発表した。
  同日18時43分、膵がんのため、浦添市の浦添総合病院で死去。
  満67歳没。

[役職歴]

・沖縄県市長会会長
・全国市長会副会長
・九州市長会副会長

[活動]

〔那覇市議(自民党)時代(1985年~1992年)〕

〔沖縄県議(自民党)時代(1992年~2000年)〕

普天間基地の辺野古移設推進

沖縄県議時代は普天間米軍基地の辺野古移設を推進した。

平成11年10月の県議会の定例会で、普天間飛行場の移設問題を取り上げ
、「私たちがなにゆえにこの県内移設を早期にやらきゃならぬかという
見地に立ったのは、県全体の立場に立っての危険性の軽減であります」
と強調。

〔那覇市長(自民党)時代(2000年12月~2014年10月)〕

[那覇軍港の浦添移転推進]

那覇市長時代は那覇軍港の浦添移転を推進し、那覇軍港を返還させると
ともに、浦添沖を埋め立てて新しい軍港を作り移転した。移転に際して
翁長は「決断に敬意を表する。今後、那覇港は県、那覇市、浦添市の三
者が一体となって国際流通港湾として整備・管理することになる。振興
発展を担う中核施設として整備されるように努力を重ねたい」と評価し
た。

[沖縄県知事選]

〔出馬表明の経緯〕

2014年6月5日、一部自民党議員からの沖縄県知事選挙立候補要請を受け
て出馬表明した。 出馬要請した自民党議員は同年8月8日に除名もしくは
離党勧告に従って離党した 同年8月11日、日本共産党・社会民主党・生
活の党・沖縄社会大衆党・県民ネットの県政野党4会派で構成する知事選
候補者選考委員会は「建白書に示された理念を堅持するぶれない知事が
求められている」「沖縄うまんちゅ(民衆)のため力を尽くされる決意
をお願いしたい」と要請文を読み上げ、翁長の出馬を求めた。

〔辺野古埋め立て反対〕

翁長は1985年から2014年まで自民党に所属し那覇市議、沖縄県議、那覇
市長を歴任し、当初より辺野古移設に賛成していた。自民党県連幹事長
も務め、22年前には、辺野古移設推進決議案を可決させた旗振り役だっ
た。 2014年6月、県知事選出馬の可能性が取りざたされる頃から、一転
、辺野古移設反対に回る。 市町村長会において「我々が反対しても国の
方針は変えられない」「基地に反対することでより多くの振興策が多く
取れる」と発言し、埋め立て反対は基地問題の解決ではなく振興策を得
るための手段であることを表明したと報道されたが、翁長は「沖縄振興
予算が最も多かったのは名護市への移設に反対した知事時代だったとい
う趣旨の話をした」と説明し、「話をすり替えている」と反論した。

2014年10月17日に行われた青年会議所主催の討論会では、「普天間は賞
味期限切れで固定化は難しい。(事故がたまたま起きていないという)
偶然という砂上の楼閣に載っている。万が一事故が起これば日米同盟そ
のものが吹き飛ぶ」と発言した。

〔日本共産党との関係〕

那覇市議、沖縄県議、那覇市長時代は一貫して自由民主党に所属してい
たが、2014年の県知事選で自民党を離れて以来、沖縄からの基地撤去を
主張する日本共産党からも微力ながら支持を受けている。共産党委員長
の志位和夫からは「このたたかいの先頭に立つ翁長さんが知事になれば
、日米両政府に巨大な衝撃を与え、新しい歴史の扉を開きます。翁長さ
んを知事に押し上げ、沖縄の新しい歴史をつくろう」と激励され、翁長
も「志位委員長から激励をいただき、本当にこれまでの政治活動が間違
っていなかったと感じています。一緒に行動して本当に違和感がない。
なぜもっと前から一緒にならなかったのかと話すくらいです」と応えた。

元那覇副市長城間幹子とともに志位と手をつないだ写真が掲載されたこ
ともある。この際の写真は志位の公式Twitterにも掲載された。

〔建白書をめぐる議論〕

県知事出馬にあたり、翁長は「建白書で大同団結し、普天間基地の閉鎖
・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める」と説明して
いたが、2013年1月25日に石垣市の中山市長らとともに署名した確認書で
は、「(建白書は)米軍普天間基地の移設について原則、県外への移設
を理想とするものの、普天間基地の早期移設と周辺住民への危険性の除
去を最優先と考えており、県内移設の選択肢を否定するものではない」
と表記されている。

八重山毎日新聞の取材に対し、中山は「オスプレイの強行配備に反対す
る内容の要請活動のはずだったが、要請書が建白書に変わり、なおかつ
普天間の県内移設断念の文言が入っていたので署名できないと伝えた。
41市町村長の署名押印をそろえたいと言われ、確認書をつくった。県内
移設断念についてはオール沖縄ではなかった」と回答した。

〔県知事選出馬にあたっての基本的な認識〕

・普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く
 求める。そして、あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくら
 せない。
・日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである。
・米軍基地は、沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリン
 クしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す。
・沖縄21世紀ビジョンの平和で自然豊かな美ら島などの真の理念を実行
 する。
・アジアのダイナミズムに乗って動き出した沖縄の経済をさらに発展さ
 せる。
・大いなる可能性を秘めた沖縄の「ソフトパワー」こそ、成長のエンジ
 ンである。
・新しい沖縄を拓き、沖縄らしい優しい社会を構築する。
・平和的な自治体外交で、アジアや世界の人々との交流を深める。

[沖縄県知事(自民党離党後)]

2014年11月16日に投開票された沖縄県知事選挙で、日本共産党・社会民
主党・生活の党・沖縄社会大衆党・県民ネット・那覇市議会最大会派で
自由民主党から除名された市議による「新風会」から支援を受けて、初
当選した。また、同日に行われた翁長の出馬によって空座になった那覇
市長を決める選挙も翁長の側近の城間幹子元副市長が自民・公明両党の
推薦する与世田兼稔を破り初当選した。

〔国政でのオール沖縄〕

2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙では、普天間飛行場の
移設に反対する野党、無所属候補の推薦を決定し、翁長を支持した野党
も応じて野党共闘がなされた。沖縄1区では日本共産党の赤嶺政賢、沖縄
2区では社会民主党の照屋寛徳、沖縄3区では生活の党の玉城デニー、沖
縄4区では翁長と同じく自民党を離党した無所属の仲里利信を推薦した。

結果全ての選挙区で現職の自民党候補を破り、翁長の推薦した候補全て
が小選挙区で議席を獲得した。この際自民党候補と維新の党新人の下地
幹郎も比例復活し、沖縄県内の立候補者全員が当選した。

2016年の第24回参議院議員通常選挙ではオール沖縄が支持する伊波洋一
が、(当時)現職で沖縄担当相の島尻安伊子を破り当選した。

[施策]

沖縄を訪れる外国人観光客で最も多いとされる台湾(中華民国)との関
係が「兄弟のように親しい」と重視して度々訪台し、2016年5月に行われ
た蔡英文の中華民国総統就任式にも出席した。 一方で、2016年7月に中
国海軍のフリゲート艦が尖閣諸島近辺の海域に侵入した際は初めて日本
政府に安全確保を要請し、2017年8月には中国・台湾漁船の違法操業の徹
底的な取り締まりを日本政府に要請していた。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

翁長雄志の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

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