先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

驚くほど役に立つ「名言集」では、世界の名言・金言・格言・故事・ことわざをご紹介します。

人のやっていないことに挑戦することが大事・・・ / 安藤百福

      2018/07/27

2018.07.27-Vol.0848
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 人のやっていないことに挑戦することが大事です。

  素人の発想でいいから、まずやってみる。

              <安藤百福>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

安藤百福(あんどう-ももふく)・・・

実業家。台湾生まれ。インスタント-ラーメン・カップ麺の商品化に成功。
(1910~2007)

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※喫煙室(雑談コーナー)

久しぶりに、昔懐かしいチキンラーメンを食べてみた。

私が小さい頃、チキンラーメンが発売されてすぐに母が卵を入れて作っ
てくれたチキンラーメンの味を思い出した。素朴で飽きのこない味であ
る。大好きでおねだりした記憶を思い出す。

NHKの特集番組で安藤百福氏のことを知り、この名言集でも一度ご紹介し
たが、まさか広辞苑に載っているとは驚きである。

今や世界的な企業となった日清食品の創業者であり、世界を席巻するイ
ンスタントラーメンやカップ麺の生みの親である。

「ミスターヌードル」と呼ばれた安藤百福が1958年に発明したインスタ
ントラーメンは、いまや日本で年55億食、世界で約1000億食も消費され
ているという。

ローソンで買ってきた元祖鶏ガラ チキンラーメンの表面には、「日本
初の世界食!インスタントラーメン発明60周年」と書いてある。因みに
、紙を剥がすと裏面はに以下のように書いてある。

安藤百福(1910-2007)

日清食品創業者。1958年、世界初の即席めん”チキンラーメン”を発明
し、即席めん産業を生み出す。1971年、世界初のカップめん”カップヌ
ードル”を発明し、新しい食文化を創出。世界総需要は年間約1,000億食
までに発展した。95歳を迎えた2005年には世界初の宇宙食ラーメン”ス
ペース・ラム”を開発。宇宙空間でも人類の”食”を支えることになっ
た。

2018年10月開始予定のNHK連続テレビ小説「まんぷく」のモデルとなる人
物である。今から楽しみである。

<安藤百福>名言

★目標を持ったら、あとは執念だ。

★転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い。

★事業のヒントは周りを見わたせば、どこにも転がっている。
 事業化できないアイデアは、単なる思いつきにすぎない。
 本当のアイデアとは実用化されて、成功を保証するものである。

★事業を始めるとき、金儲けをしようという気持ちはなかった。
 何か世の中を明るくする仕事は無いかと、そればかり考えていた。

★即席めんの発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった。
 過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている。

★どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、
 人の役に立つことはできない。

★私は眠るときも、メモと鉛筆を枕元に用意する。
 あなた方も四六時中考える習慣をつけなさい。

★事業を始めるとき成功を語るな、失敗から考えろ。

★新しいものを創造する力が無ければ、企業は存続できません。

★未来とシナリオなき事業は、すべて清算しなさい。
 企業は夢がなくてはならない。
 夢が現実のものになるとき、飛躍的に成長する。

 企業という言葉は創造と同義である。
 新しいものを世の中に提供していく力がなければ
 企業である必要はない。

★人生に遅すぎることはない。
 この発明にたどりつくために、私には48年の歳月が必要だった。

         ☆—————————————-☆

安藤百福

安藤 百福(あんどう ももふく、1910年(明治43年)3月5日 – 2007年(
平成19年)1月5日)は日本の実業家。インスタントラーメンの開発者と
して知られる。日清食品(株)創業者。日本統治時代の台湾出身。

1948年(昭和23年)に(株)中交総社(後の日清食品)を設立。日清食
品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(社)日本
即席食品工業協会会長、(財)安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、
(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけ
だ市民文化振興財団会長などを務めた。池田市名誉市民。位階勲等は正
四位勲二等。

[来歴・人物]

[少年時代]

1910年、日本統治時代の台湾・台南県東石郡樸仔脚(現・嘉義県朴子市
)に生まれる。両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父母のも
と、台南市で育った。安藤曰く幼い頃から数字に異常なほど強い興味を
持ち、足し算・引き算・掛け算を習得したという。

[実業家となる]

義務教育修了後、祖父の繊維問屋の手伝いや図書館司書を経て1932年に
繊維会社「東洋莫大小(とうようメリヤス)」を設立。当時の繊維業界
の動きからメリヤスの需要が大きく伸びるという安藤の予測が当たり、
事業は大きな成功を収めた。

1933年には大阪市にメリヤス問屋「日東商会」を設立。メリヤスを扱っ
た他、トウゴマを栽培して実からひまし油を採取、葉を養蚕用に繊維メ
ーカーに売る事業も手掛けた。この時期の安藤は実業家として活動する
傍ら、立命館大学専門部経済学科に学んだ(1934年3月修)。

1996年10月、安藤は同大学から「戦後のベンチャービジネスの卓越した
成果」を称えられ、名誉経営学博士号を授与された。

太平洋戦争開戦後、軍需工場の経営に携わったが、そのために憲兵の拷
問を受けることになった。安藤は国から支給された資材の横流しに気付
き憲兵隊に訴えたが、安藤自身が横流しした疑いをかけられ、棍棒で殴
られる、正座した足の間に竹の棒を挟まれるといった拷問を受けた。

安藤によると、憲兵隊の中に横流しをしたと思しき者の親戚がいたこと
が後に判明した。安藤は自白を強要されたが調書への署名を拒否し、拷
問はエスカレートした。安藤は留置場で知り合った人物を通じて知人の
元陸軍将校に助けを求め、解放されたが留置生活の影響から深刻な内臓
疾患を抱えることになり、後に2度の開腹手術を受けている。

1946年冬、安藤は疎開先から大阪へ戻り、泉北郡大津町(現在の泉大津
市)に住んだ。戦後の食糧難の中で安藤は「衣食住というが、食がなけ
れば衣も住もあったものではない」という思いを抱くようになり、食品
事業を手掛けることを決意した。

安藤によるとこの時抱いた想いが原点となって、後に日清食品の企業理
念「食足世平(食足りて世は平らか)」が誕生した。安藤は自宅近くに
あった軍需工場跡地の払い下げを受け、跡地に置かれていた鉄板を用い
た製塩業や漁業を営んだ。

1948年、安藤は「中交総社」(後の日清食品)を設立した。

1948年12月、安藤はGHQに脱税の嫌疑をかけられた。安藤は前述の事業に
おいて地元の若者を雇い、彼らに「奨学金」として現金を支給していた
が、奨学金は所得であり源泉徴収して納税すべきであるのにそれを行わ
なかったというのが理由であった。

裁判の結果安藤は4年間の重労働の刑[† 1]を言い渡され、巣鴨拘置所に
収監された。さらに安藤が個人名義で所有していた不動産は全て没収さ
れた。安藤の収監後、GHQは安藤の名を挙げて「納税義務に違反した者に
は厳罰を処す」という内容の談話を発表した。安藤はこの一件について
、「みせしめに使われたようだ」と述べている。

安藤は法学者の黒田覚の支援を受け、弁護団を結成して処分取り消しを
求める裁判を起こした。これに対しGHQ側は「訴えを取り下げれば釈放す
る」と取引を持ちかけた。当初安藤は断固裁判を継続する覚悟を固めて
いたが、最終的には大阪に残した家族の生活を案じて取引に応じて訴え
を取り下げ、釈放された。

[インスタントラーメン、チキンラーメンを開発]

収監中に安藤は営んでいた事業を整理していたため、「事業家としての
人生は振り出しに戻ってしまった。安藤は大阪に新設されたある信用組
合から懇願され、その理事長に就任したがやがてその信用組合は破綻し
、「いよいよ無一文になった」。なお安藤はこの件において、信用組合
と親密に関係にあった銀行に対し不信感を抱いたことから「銀行には頼
らない」と心に決め、日清食品の経営時には無借金を貫いた。

安藤は大阪府池田市の自宅敷地内に小屋を作り、かねてから構想を抱い
ていたインスタントラーメン(即席めん)作りに取り組んだ。安藤はイ
ンスタントラーメンを「1.おいしくて飽きがこない、2.保存性がある、
3.調理に手間がかからない、4.安価である、5.安全で衛生的である」の
5要件を満たすものと定義した。安藤は早朝から深夜まで小屋に籠り、イ
ンスタントラーメン作りに取り組む生活を1年間続けた。

安藤によると開発の過程は失敗を繰り返しながら少しずつ前進するとい
うもので、開発成功の決定的な場面は思い浮かばないという。安藤はま
ず、スープの味を染み込ませた「着味麺」の開発の取り組んだ。安藤は
小麦粉の中にスープを染み込ませて味の付いた麺を作ろうとしたが、製
麺機にかけるとボロボロになって切れた。

そこで麺を蒸してからスープに浸してみたが、今度は生地が粘ついて乾
燥しにくいという問題が生じた。試行錯誤の末、安藤はじょうろを使っ
て生地にスープをかけ、しばらく自然乾燥させた後に手でもみほぐすと
いう方法を考案した。スープはチキンスープを選んだ。きっかけは庭で
飼っていたニワトリが調理中に暴れたことに驚いて以来鳥肉を口にしな
くなった息子が、鳥ガラでとったスープで作ったラーメンだけは食べた
ことにあった。

次に安藤は、麺を長期間保存ができるように乾燥させ、かつ熱湯をかけ
るとすぐに食べることができる状態になる性質を持たせることに挑んだ
。安藤は天ぷらからヒントを得て、麺を高温の油で揚げることにした。

安藤が意図したのは、麺を高温の油で揚げると水分がはじき出されると
同時に麺に無数の穴が開き、熱湯を注いだ際にはその穴から湯が吸収さ
れて麺が元に戻りやすくなるという仕組みであった。麺の固まりを油の
中に入れるとバラバラに分解して浮かび上がるため、安藤は針金と金網
を使って枠型を作り、その中に麺を入れて揚げる手法を考案した。

これら一連の製法は「瞬間油熱乾燥法」と名付けられ、1962年に特許を
取得した。安藤は、油熱乾燥させたラーメンは独特の香ばしさを持つよ
うになるが、その香ばしさこそがおいしさの秘密であり、普通のラーメ
ンとは違う食べ物にしているのだと述べている。

インスタントラーメンの開発は1958年の春にはほぼ完了した。貿易会社
を通じて試作品をアメリカ合衆国に送ったところ注文が入り、日本で発
売する前に日本国外への輸出が行われた。

同年夏には「チキンラーメン」という商品名で日本での発売を開始。安
藤によると、チキンラーメンの需要は「ある日突然に爆発した」。価格
をうどん玉6円、乾麺25円に対し35円に設定したことや、安藤が当時の慣
例とは異なる(2-3か月の手形決済が普通だった)現金決済を要求したこ
とから問屋のからの反応は芳しくなかったが、ある時小売店から問屋へ
の注文が殺到するようになり、問屋から「現金前払いでもいいから」と
注文が入るようになったという。

安藤は三菱商事、東京食品、伊藤忠商事の3社と販売委託契約を結び流通
網を整え、同時に大量生産を可能にするべく大阪府高槻市に2万4000平方
メートルの敷地を購入して工場を建設した。安藤によると「いくら売っ
ても需要に追いつかない」日々が続き、工場用地の購入代金をチキンラ
ーメンの売り上げ1か月分で賄うことができたという。

安藤はチキンラーメンがヒットした要因を3つ挙げている。第1はチキン
ラーメン発売と同じ時期にスーパーマーケットが加工食品を大量販売す
る流通システムが確立しはじめたこと、第2はテレビコマーシャルが効果
を上げたこと、第3は日本の消費者が食事に簡便性を求めるようになって
いたことである。1963年10月、安藤が経営する日清食品[† 2](かつて
の中交総社)は東京証券取引所、および大阪証券取引所の第二部に上場
した。

なお、チキンラーメンがヒットすると「チキンラーメン」と銘打った類
似品が多数出回るようになった。日清食品はチキンラーメンに関する商
標や特許を申請・登録し、類似品の販売差し止めを求める裁判を起こす
などしてチキンラーメンのブランドを守ることに努めたが、それに対し
類似品を販売する業者が「全国チキンラーメン協会」を設立し、「チキ
ンラーメンは普通名詞である」と訴えて商標登録に異議を申し立てるな
どチキンラーメンをめぐる法的紛争は数年にわたって続いた。

これに対し食糧庁は業界の協調体制を整えるよう勧告を出し、これを受
けて日清食品など56社が社団法人日本ラーメン工業協会を設立、安藤は
同協会の理事長に就任した。なお日清食品はこの時申請・登録が遅れた
経験を生かし、後にカップヌードルを発売した際には発売前に特許出願
を行うなどして紛争に備えた。安藤は特許について、「異議申し立ての
多いほど実力がある」、「異議申し立てを退けて成立したものは特許は
、常に強力である」と述べている。

類似品を含めインスタントラーメンの生産が盛んになるにつれ、麺を質
の悪い油で揚げるなど品質に問題のある商品が市場に出回るようになっ
た。安藤は法律によって義務付けられる前に自社製品のすべてに製造年
月日の表示を行い、日本ラーメン工業協会においても成分表示や製造基
準に関する検討を行い、インスタントラーメンに関する日本農林規格を
制定するよう農林省に要請を行うなど、インスタントラーメンの安全、
信頼の確保のための仕組み作りに取り組んだ。

[カップヌードルを開発]

1966年、安藤は視察のために訪れたアメリカ合衆国で新商品開発のヒン
トを掴んだ。あるスーパーマーケットへチキンラーメンを持ちこんだと
ころ麺を入れるどんぶりがなく、相手は紙コップの中にチキンラーメン
を割ったものを入れ、湯をかけてフォークで食べた安藤はそれを見て欧
米人には箸とどんぶりでインスタントラーメンを食べる習慣がないこと
を改めて認識し、カップに入れてフォークで食べられるインスタントラ
ーメン、カップヌードルの開発に着手した。

安藤はカップの素材として断熱性が高く、経済性に優れたポリスチレン
に着目。完成した容器について安藤はポリスチレンを食品容器にふさわ
しい品質に精製し、当時厚さ2cmほどに加工されるのが一般的であったと
ころを2.1mmまで薄くしたことを挙げ、「画期的な技術革新」であったと
述べている。

安藤によると、カップヌードルの開発において最も苦労したのは、カッ
プの中に入れる厚さが約6cmの麺の固まりをいかに均一に揚げるかという
ことだった。固まりのまま揚げると中まで油熱が通らないため、安藤は
バラバラにした麺を揚げると油熱の通った順に浮き上がってくること利
用し、バラバラにした麺を枠型の中に入れて揚げ、先に浮き上がった麺
が後から揚がった麺に押し上げられてカップと同じ形状に固まる仕組み
を編み出し、均一に揚がった厚さ6cmの麺の固まりを作り出すことに成功
した。

麺の固まりが壊れるのを防ぐため、固まりの直径はカップの底部より大
きくし、容器の中で宙づりの状態にして固定された。固まりを容器と水
平にして固定することに苦労したが、容器の中に麺を入れるのではなく
麺の固まりの上から容器をかぶせる方法を考案した。この方法は実用新
案登録された。

安藤は容器が包装材料、調理器具、食器の3役をこなす画期的な商品が完
成したのではないかという感触を得たがマスコミや問屋からの評判は冴
えず、スーパーマーケットなど正規のルートで販売することができなか
った。そこで給湯設備付きの自動販売機を設置したところ売れ行きがよ
く、徐々に取り扱う問屋が現れるようになった。

安藤によるとカップヌードルの需要が爆発的に高まるきっかけとなった
のは1972年に起こったあさま山荘事件で、山荘を包囲する機動隊員がカ
ップヌードルを食べる姿が繰り返しテレビで放映されたことにより大き
な話題を集め、生産が追いつかなくなるほどの売れ行きを見せるように
なった。

カップヌードルは日清食品にとってチキンラーメン以来のヒット商品と
なり、1972年に同社は東京証券取引所、大阪証券取引所、および名古屋
証券取引所の第一部に上場した。

[カップライスの失敗]

1974年7月、日清食品は「カップライス」を発売した。この商品は食糧庁
長官から「お湯をかけてすぐに食べられる米の加工食品」の開発を持ち
かけられたことがきっかけとなって完成したものであった。カップライ
スを試食した政治家や食糧庁職員の評判はすこぶる高く、マスコミは「
奇跡の食品」、「米作農業の救世主」と報道した。安藤曰く「長い経営
者人生の中で、これほど褒めそやされたことはなかった」が、価格が「
カップライス1個で袋入りのインスタントラーメンが10個買える」といわ
れるほど高く設定された(原因は米が小麦粉よりもはるかに高価なこと
にあった)ことがネックとなって消費者に敬遠され、早期撤退を余儀な
くされた。

安藤は日清食品の資本金の約2倍、年間の利益に相当する30億円を投じて
カップライス生産用の設備を整備していたが「30億円を捨てても仕方が
ない」と覚悟を決めたという。この時の経験について安藤は、「落とし
穴は、賛辞の中にある」と述べている。

[社長の座を息子へ、会長就任]

1981年(昭和56年)、社長の座を長男の安藤宏寿に譲り、自らは会長に
退くが、その2年後の1983年(昭和58年)、宏寿が経営方針の相違から社
長を退任したため、百福が会長兼任で再び社長に復帰した。1985年(昭
和60年)6月に次男の宏基が社長に就任し(宏基は現在日清食品ホールデ
ィングスCEO)、再び会長専任となった。

社長退任後、安藤はかねてから関心を寄せていた「日本人は何を食べて
きたのか」というテーマを探求すべく、4年間にわたり日本各地を巡って
郷土料理を食べる旅に出た。続いて安藤は「いつ、誰が、どこで、ラー
メンを生みだしたのか」という疑問から中国、中央アジア、イタリアな
どを巡る旅に出た。

1987年(昭和62年)、食文化の探究のために「麺ロード調査団」を結成
して料理研究家の奥村彪生とともに上海、南京、揚州、広州、厦門、福
州、成都、北京、西安、蘭州、ウルムチ、トルファンなど中国全土を巡
って300種類を超える麺を食べた。さらに文化人類学者の石毛直道にシル
クロードを通じて世界各地に伝搬した麺の歴史を研究させて麺の系譜図
を完成させた。

調査の結論として安藤は、「ラーメンは中国を起源とし、シルクロード
を通ってイスラム世界に伝わり、さらにイタリアへ伝わった」と見解を
示している。

1996年、安藤は食品業界におけるベンチャーを奨励するために基金を設
立し、基金をもとに「食創会(新しい食品の創造開発を奨める会)」が
設立された。食創会は日本経済新聞社の後援の下、食品研究・開発者を
対象とした安藤百福賞を主催している。

1999年、安藤がチキンラーメンを開発した大阪府池田市にインスタント
ラーメン発明記念館が建設された。記念館の中には安藤が開発研究を行
った小屋が再現された。安藤曰く、この小屋には「研究や発明は立派な
設備がなくてもできる」という思いが込められている。

2001年には日本経済新聞『私の履歴書』において自伝を執筆。安藤は「
自らの人生の浮き沈みを世の中に語って、果たして何の意味があるのか
」という思いから日経新聞からの要請を断り続けていたが、「何か人に
言えない具合の悪いことでもあるのか」と担当者に言われたことに反発
し、執筆を決意した。

2002年頃から安藤は宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の開発に取り組
んだ。スペース・ラムには無重力空間でもスープが飛び散らないよう粘
度を高め、スペースシャトル内で給湯可能な70度の湯で調理ができるよ
うにするなどの工夫が施された。スペース・ラムは2005年7月にアメリカ
合衆国が打ち上げたスペースシャトル「ディスカバリー」に搭載され、
宇宙飛行士の野口聡一によって食された。

<中略>

[NHK連続テレビ小説『まんぷく』]

2018年(平成30年)10月より放送開始予定の、NHK連続テレビ小説『まん
ぷく』のモデルとなった。内容は、妻・仁子をモデルとするヒロインと
実業家の夫・萬平の夫婦の成功物語。なお、妻・仁子を取材した書籍や
雑誌等の資料が皆無なことから、ヒロインの福子はほぼフィクション上
の人物となった。百福をモデルとした立花萬平は長谷川博己、主人公の
福子は安藤サクラが演じる。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安藤百福の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「すべての品といってよいほど・・・」

突然激しい雨に襲われますが、10分も走れば眩しい太陽が現れます。

レストエリアではチェリー、トマト、リンゴ等と一緒にサングラスも売
られているのは走行中まともに太陽を受けると眼を傷めるので必需品。

(Dr曰くサングラスをかけない東洋人は白内障の手術を受ける%が高いと)

サンドイッチ、ピザ、ハンバーガー、同じようなメニューでお腹を満た
し、トレーラー、大型トラックは駐車できない場所もあり給油も限られ
るとのこと。

アメリカでは流通する99%もの商品がトラック輸送に限られていて、必ず
トラックに乗って私たちのもとに製品が届くと教えてくださいました。

運転手さん、長距離運転ごくろうさまです!

                     Keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

世界中で異常気象が続いています。本州では異常高温が続き熱中症によ
る死者さえ出ています。異常気象による豪雨・地震、続く土砂崩れや津
波など、今後も予期せぬ災害は年々激しさを増していくものと思われま
す。・・・皆さん、一番大事なのは命です。

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

■今号はいかがでしたか?
驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ!
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⇒ http://maxim.no1wizard.com/page-34

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

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皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

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