先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

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我に奇策あるに非ず、我は寧ろ奇策を忌む・・・ / 松方正義

      2018/05/18

2018.05.18-Vol.0838
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 我に奇策あるに非ず、

  我は寧ろ奇策を忌む。

   唯正直あるのみ、

    正直に之を行へは人民必ず之を信せん

              <松方正義>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

奇策(きさく)・・・常人の及ばない、奇抜なはかりごと。奇計。

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※喫煙室(雑談コーナー)

「今日の名言」とは離れるが、スポーツの世界で不祥事が続いている。

スポーツ界に根深くはびこる八百長問題・暴力やパワハラ問題、柔道・
相撲・レスリング・・・続く日大アメフト部の今回の問題から私達は多
くのことを学ぶことが出来る。

たまたま今読んでいる本が、オリンピックの代表選手が必ず読まされる
と、何かで読んですぐに注文した以下の本である。

「一流の集中力」<豊田一成>
「スポーツマンシップ立国論」<広瀬一郎>

そもそもスポーツと暴力とは対極にあるものである。

スポーツとは、闘いや争いといった暴力行為をルール化して非暴力化し
、ゲーム化することによって成立したものである。

一見、奇異に聞こえるかもしれないが、ルールのなかった時代にコロシ
アムでライオンと戦わされて生き残れば解放された犯罪人や、ボクシン
グで殴り合い血を流すのを見て楽しんだスポーツという概念が出来る以
前の残酷な娯楽?をわざわざ面倒なルールを作って誰もが参加出来るよ
うにゲーム化したものである。

広瀬一郎氏によると、ルールとは

第一、「公平で客観的な条件を共有すること」
第二、「暴力を抑止すること」
第三、「目的を果たすために阻害条件を設けること」

スポーツをするうえで一番重要な条件が「阻害条件を付けること」であ
るという。ルールを、「社会」が誕生し機能するための秩序と抑制と関
連づけて解説している。

そこには己を自制する克己心や忍耐力、そして何よりも対等な立場で相
手を尊重する気持ちがなければスポーツは成り立たないのである。

「尊重」とは、異質なものを理解し、価値を認めること。それを体得さ
せ、理解させることが、スポーツマンシップの神髄である。

と、広瀬氏は述べている。

勝負に負けて悔しさや辛さに耐え我慢することを学び、目標を設定して
成し遂げ結果を出した時の達成感など、人格形成の重要な糧になるスポ
ーツを冒涜する一連の事件を憂慮している。

私事で恐縮だが、40過ぎまで私は柔道(五段)をやっていた。腰を痛め
て手術をするまでは中学生に柔道を教えていたこともある。

今は15年以上もテニスで毎朝汗を流しているが、軽微なマナー違反やル
ール違反を目にすることはあっても、暴力や地位を利用した強制や(パ
ワハラ)などはスポーツマンとしては絶対に許してはならないものだと
思っている。

指導者とは、自制心を持って選手の最高の能力を引き出せるように努め
なければならないのだが、同時に選手の考え方や行動までをも指導し、
真のスポーツマンとしての資質を伸ばすことが役割の筈である。

指導者に必要なのは、モラルである。
実践の場でどう行動して良いのかを理解させるのが指導者の役割である。

日本では、勝つためには体罰やある程度の強制はやむを得ないものとい
う風潮があるのが残念である。

昨今のスポーツ界の為体に猛省を促したい。指導者としての自覚や矜持
などどこへ行ってしまったのだろう?

         ☆—————————————-☆

松方正義

松方 正義(まつかた まさよし、天保6年2月25日(1835年3月23日) –
大正13年(1924年)7月2日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位
階勲等爵位は従一位大勲位公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は
海東。

明治期の日本において内閣総理大臣を2度(第4・6代)務めるとともに大
蔵卿、大蔵大臣(初・第2・第3・第4・第6・第8・第11代)を長期間務め
て日本銀行を設立したり、金本位制を確立するなど、財政通として財政
面で業績を残した。また、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響
力を行使した。独逸学協会名誉会員。日本赤十字社社長。

[経歴]

[生い立ち]

薩摩国鹿児島郡鹿児島近在荒田村(現在の鹿児島県鹿児島市下荒田一丁
目)に松方正恭、袈裟子の四男として生まれる。わずか13歳にして両親
を亡くす。

弘化4年(1847年)、藩士の子弟が通う藩校「造士館」に入る。

嘉永3年(1850年)、16歳のとき、御勘定所出物問合方へ出仕し、扶持米
4石を得る。この後、大番頭座書役となり、7年間勤めたが、この間幾度
か藩主に拝謁する機会も得、精勤振りを認められ、褒賞として金130両を
下賜された。

[幕末期]

島津久光の側近として生麦事件、寺田屋事件等に関係した。

29歳の時、議政書掛(ぎせいしょがかり)という藩政立案組織の一員と
なった。低い身分から異例の出世を遂げた松方に対し、称賛する者もい
る反面、妬む者もいたという。

慶応2年(1866年)、軍務局海軍方が設置され御船奉行添役と御軍艦掛に
任命される。慶応3年(1867年)、軍賦役兼勤となり、長崎と鹿児島を往
復して、軍艦の買い付けなどに当たった。老中板倉勝静と水野忠精が文
久2年(1862年)に外交官ロバート・プルインを通してアメリカ合衆国の
会社に発注していた軍艦は購入が困難となっていた。

[明治維新後]

明治政府では長崎裁判所参議に任じられ、日田県知事に転任する。県内
視察の際、海上交通の便を図れば別府発展が期待されるとの発案から別
府港を築港、現在の温泉都市となった別府温泉の発展の礎を築いた。日
田で松方は大量の太政官札の偽札流通を密告により発見する。この調査
により、旧福岡藩士が犯した偽札製造の事実を明らかにした事で大久保
利通の評価を得、その功績、推挙で民部大丞・租税権領に就任する。

以降は大蔵省官僚として財政畑を歩み、内務卿・大久保の下で地租改正
にあたる。だが、財政方針を巡って大蔵卿・大隈重信と対立する。当時
は明治10年(1877年)の西南戦争の戦費の大半を紙幣増発でまかなった
ことなどから政府紙幣の整理問題が焦点となっていた。松方は大隈が進
める外債による政府紙幣の整理に真っ向から反対したのである。その結
果、伊藤博文の配慮によって内務卿に転出する形で大蔵省を去った。

松方は、明治10年(1877年)に渡欧し、明治11年(1878年)3月から12月
まで、第三共和制下の、パリを中心とするフランスに滞在し、フランス
蔵相レオン・セイ(「セイの法則」で名高い、フランスの経済学者のジ
ャン=バティスト・セイの孫)から3つの助言を得る。第一に日本が発券
を独占する中央銀行を持つべきこと、第二にその際フランス銀行やイン
グランド銀行はその古い伝統故にモデルとならないこと、第三に従って
最新のベルギー国立銀行を例としてこれを精査すること、を勧められた。

その後、帰国した松方は、明治14年(1881年)7月に「日本帝国中央銀行
」説立案を含む政策案である「財政議」を政府に提出し、政変によって
大隈が失脚すると、参議兼大蔵卿として復帰し、日本に中央銀行である
日本銀行を創設した。後の明治16年(1883年)に、松方は明治天皇に働
きかけて、レオン・セイに勲一等旭日大綬章が贈られるように図ってい
る。

松方は財政家として、政府紙幣の全廃と兌換紙幣である日本銀行券の発
行による紙幣整理、煙草税や酒造税や醤油税などの増税や政府予算の圧
縮策などの財政政策、官営模範工場の払い下げなどによって財政収支を
大幅に改善させ、インフレーションも押さえ込んだ。ただ、これらの政
策は深刻なデフレーションを招いたために「松方デフレ」と呼ばれて世
論の反感を買うことになった。

なお、現在の日本に於ける会計年度「4月 – 3月制」が導入が決定された
のは、松方が大蔵卿を務めていた明治17年(1884年)10月のことである。

[総理大臣および大蔵大臣として]

明治18年(1885年)に内閣制度が確立されると、第1次伊藤内閣において
初代大蔵大臣に就任。明治24年(1891年)に第1次山縣内閣が倒れると大
命降下を受けて総理大臣(兼大蔵大臣)に就任した。しかし閣内の不一
致や不安定な議会運営が続き、明治25年(1892年)8月8日に辞任に追い
込まれた。同日付けで特に前官の礼遇を賜い麝香間祗候となる。

その後第2次伊藤内閣を挟んで明治29年(1896年)に再び松方に組閣(総
理大臣兼大蔵大臣)の大命が下るが、明治30年(1897年)に懸案であっ
た金本位制への復帰こそ成し遂げたものの、大隈重信率いる進歩党との
連繋がうまくいかず、同じく1年数か月で辞任を余儀なくされた。このと
き松方は衆議院を解散した直後に内閣総辞職している。

[晩年]

日露戦争前の明治34年(1901年)に開かれた、日英同盟を締結をするか
どうかを検討した元老会議においては、対露強硬派として、当時の首相
・桂太郎の提案どおりに、山縣有朋、西郷従道らともに日英同盟締結に
賛成している。元老会議の結果を尊重して明治天皇は日英同盟締結の裁
可を下している。

明治35年(1902年)1月に日英同盟が締結されると、日露戦争の準備のた
めにアメリカを経由して欧州7カ国へ赴き、戴冠前のイギリス国王エドワ
ード7世に拝謁を許されるなどの大歓迎を受けている。オックスフォード
大学からは法学名誉博士号(後には国家元首にのみ与えられる)を授与
されている。

アメリカでは大統領セオドア・ルーズベルト、ドイツでは皇帝ヴィルヘ
ルム2世、ロシアでは皇帝ニコライ2世と会見している。同年12月29日に
日本赤十字社社長に任命される。帰国後の明治36年(1903年)には戴冠
式を終えたエドワード7世からナイトの最高勲章を贈られている。

また、栃木県那須(現在の那須塩原市)に千本松牧場を開場。後に隣接
して別邸(松方別邸)を造り、皇太子・嘉仁親王を招くなどの社交の場
とした。明治36年(1903年)から枢密顧問官。大正6年(1917年)から内
大臣を務めた。内大臣時代は宮中某重大事件・大正天皇の病気による摂
政設置などの問題に遭遇した。

伊藤博文や山縣有朋らの死後は元老を主導する立場となり、加藤友三郎
内閣の成立などに関与した。大正13年(1924年)7月2日、呼吸不全によ
り死去(89歳)。東京三田の自宅で国葬が執り行われた。墓所は東京都
港区の青山霊園。

[評価]

薩摩閥では黒田清隆が酒乱で人望がなく、西郷従道・大山巌は政治的野
心に乏しく、松方は年齢やキャリアからすれば薩摩閥の中核となるべき
人物ではあったが、財政面以外での政治手腕には欠けるところがあった
(2度の内閣がともに閣内分裂が理由であっけなく倒れた)ために軽んじ
られており、それゆえ派閥をまとめることが出来なかったといわれる。
また、薩長元勲の中では唯一勤皇志士としての活動歴がなく、維新後の
功労で元老・公爵にまで立身した。

ただし、明治天皇からの信頼は絶大であり、松方財政においても、閣僚
や元勲の反対の中、天皇から財政委任の詔勅を得、財政をすすめている
。金本位制導入の際には、明治天皇から「導入の是非を巡る議論は難解
でよくわからぬが、これまで松方が財政に関して間違ったことをやった
例はなかったから導入を裁可する」とまで言われている。日露戦争の開
戦に当たっては、消極派の伊藤博文・井上馨らに反論し、積極的に開戦
を主張、蔵相に自信がないとしても自分が補佐するから財政上の懸念は
解決できると豪語し、元老会議を主導した。この功績が明治天皇から認
められ、戦後異例の大勲位受章となった。

日清戦争の時には松方は前首相ながら無役であったが、西南戦争の戦費
を基準に予算を立てようとした当時の首脳部を戒め「このような時には
前例などにとらわれず、勝つ為にいくら必要かの見込みを立てて、それ
を工面する方法を考えるべき」と主張した。

また、伊藤と井上が「富豪から『戦勝後に国債と引き替える』として献
金を募る」という提案をしたのに対し、「善意で献金した人間が『所詮
国債目当て』と白い目で見られる」「政情の変化で国債に引き替えられ
なくなったら政府が国民を欺いたことになる」として「いっそ最初から
国債を売った方がよい」と述べ、井上と論争の末「松方の案がもっとも
だ」と井上に言わしめた。

陸奥宗光
「松方程度の人間は地方の村役場に行くと一人や二人はきっといる」

尾崎咢堂
「公は重々しいところはあるが、感じの至って鈍い人で、公がもしも薩
摩人でなかったら、総理大臣にはなれる人物ではなかったろうと思う」

[人物]

奥羽日日新聞「本邦朝野紳士の体重」(1902年(明治35年)5月8日)に
よると身長は172cm、体重は78kgとある。

松方は女好きで、非常に子沢山であり、早世した2男も含めて15男11女の
26子があった。或る日、明治天皇から何人子供がいるのかと尋ねられた
が咄嗟に思い出せず、「後日調査の上、御報告申し上げます」と奏上し
たという。

松方と接したことのある尾崎行雄は松方を「鈍重」と評し、「(松方が
)もし薩摩人でなかったら総理大臣になれなかったろう。先輩が皆没し
たため回り回って薩摩の代表になった」にすぎないと記している。

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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                Keiko

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仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
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今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
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