先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

驚くほど役に立つ「名言集」では、世界の名言・金言・格言・故事・ことわざをご紹介します。

憎しみは人類の知恵と良心を腐らせ・・・ / 劉暁波

      2017/08/03

2017.07.21-Vol.0794
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 憎しみは人類の知恵と良心を腐らせ、

  敵対意識は民族の精神を傷つけ、

   生きるか死ぬかの残酷な闘争を煽り、

    社会の寛容性と人間性を破壊し、

     1つの国家が自由と民主主義へと向かう道のりを阻むものだ。

 私は個人的な境遇を超越し、

  国家の発展と社会の変化を見据えて、

   最大の善意をもって政権からの敵意に向き合い、

    愛で憎しみを溶かしたい。

              <劉暁波>



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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

善意(ぜんい)・・・

(1)善良な心
(2)他人のためを思う心。好意。また、他人の行為などを好意的に見
   ようとする心。
(3)〔法〕ある事実を知らないこと。

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※喫煙室(雑談コーナー)

中国政府を批判し、2010年「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年およ
び政治的権利剥奪2年の判決を受け刑に服していた劉暁波氏が亡くなられ
た。

ノーベル平和賞を受賞した中国の良心である。

劉暁波氏は、服役中にノーベル平和賞を受賞した人権活動家の作家で中
国の良心でもあった。

今月13日、肝臓がんのため中国遼寧省瀋陽の病院で61歳という若さで亡
くなった一因に国外での治療を認めなかったという理由で中国が国際的
な批判を浴びているが、勿論、中国政府はこれに反発している。

日本に住む私達が自由をいかに享受しているか、普段は意識することは
ないが、この自由が脅かされようとしている現状。

そもそも自由度を測る一つのバロメーターとして国境なき記者団が毎年
発表する「報道の自由度ランキング」がある。日本は72位でG7中最下位
だそうである。

HaffPostに載せられた劉暁波氏の裁判記録を何度読み返しても逮捕され
るような悪行が行われたとは到底思えないのだ。妻への愛も涙を誘う。

以下、HaffPostより抜粋させていただく。

式典では、劉氏が2009年12月、自らの裁判審理で読み上げるために記し
た陳述書「私には敵はいない──私の最後の陳述」が代読された。そこ
には祖国の民主化と言論の自由にかける思いと、苦難をともにしてきた
妻への愛が込められていた。

全文は以下の通り。

——

50歳を過ぎた私の人生において、(天安門事件が起こった)1989年6月は
重要な転機だった。

文化大革命後(1977年)に復活した大学入試で、私は最初の大学生の一
人となった。私の学生生活は博士課程まで順風満帆だった。卒業後は北
京師範大学に残り、教員となった。

教壇では学生から歓迎される教師だった。同時に、公的な知識人でもあ
った。1980年代には大きな反響を呼んだ文章や著作を発表し、各地の講
演会にも頻繁に呼ばれ、ヨーロッパやアメリカからも招かれ、客員研究
員になった。

私が自分自身に求めたのは、人としても作家としても、正直さと責任を
負って、尊厳を持って生きることだった。

私はアメリカから戻り、その後に1989年の民主化運動に参加したことで
、「反革命宣伝扇動罪」で投獄され、情熱を込めていた教壇を失った。
中国国内において、私は二度と本を出版することも、講演をすることも
できなくなった。

異なる政治的意見を表明し、平和的な民主化運動に参加しただけで、一
人の教師が教壇を追われ、一人の作家が出版の権利を失い、一人の公的
な知識人が公の場で話す機会を失った。このことは私個人にとっても、
「改革解放」から30年を経た中国にとっても悲劇だ。

思い起こせば、六・四(天安門事件)の後に私が経験した劇的な経験は
、すべて法廷と関わっている。

私が公の場で話した2度の機会は、いずれも北京の人民中級法院の法廷が
与えてくれた。1度目は1991年1月、2度目は今だ。それぞれで問われた罪
名は異なるが、本質的には同じであり、ともに「表現の罪」を理由にし
ている。

20年が経過した今もなお、無実の罪で亡くなった天安門事件の犠牲者の
魂は安らかな眠りについていない。

私は1991年に釈放された後、天安門事件の情熱によって政府方針とは異
なる政治的意見を持つ私は、国内での発言の機会を失い、海外メディア
を通してのみ言葉を発信できた。それらの言葉は、当局から何年にもわ
たって監視されてきた。

当局からの生活監視(1995年5月~96年1月)、労働教養(1996年10月~
99年10月)、そして今再び私を敵とみなす政府によって、私は被告席に
押し込められている。

それでも私は、自由を奪った政府に対して伝えたい。20年前に「6月2日
ハンスト宣言」で表明した時の信念と変わりはない――「私には敵はお
らず、憎しみの気持ちもない」と。

私を監視、逮捕し、尋問した警察官、起訴した検察官、判決を下した裁
判官も、誰もが私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受けいれら
れないが、私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含めて、君たちの職
業と人格を私は尊重する。12月3日の尋問では、私は2人から尊敬と誠意
の念を感じた。

憎しみは人類の知恵と良心を腐らせ、敵対意識は民族の精神を傷つけ、
生きるか死ぬかの残酷な闘争を煽り、社会の寛容性と人間性を破壊し、
1つの国家が自由と民主主義へと向かう道のりを阻むものだ。私は個人的
な境遇を超越し、国家の発展と社会の変化を見据えて、最大の善意をも
って政権からの敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かしたい。

「改革開放」が国の発展と社会変化をもたらしたことは周知の事実だ。
私の見解では、改革開放は毛沢東時代の「階級闘争を要とする」執政方
針を放棄したことから始まり、経済発展と社会の平和的調和に貢献する
ものだった。

「闘争哲学」の放棄も、敵対意識を徐々に弱め、憎しみの感情を取り除
き、人間性に染み込んだ「狼の乳(編集部注:中国共産党による愛国主
義的な教育)」を取り除く過程だった。この過程によって、互いを愛す
る心の回復や、あらゆる価値観や異なる利益が平和裏に共存するための
柔和な人間的土壌といった、改革開放に向けたゆとりある環境が国内外
で整えられた。これにより民衆の創造性が発露し、慈しみの心が修復さ
れた。

国外に向けては「反帝国主義・反修正主義」の考え方を棄て、国内にお
いては「階級闘争」の考えを棄てた。このことは、中国の改革開放が今
日に至るまで継続できた大前提だったと言えよう。市場経済となり、文
化は多様性へと向かい、遅まきながら「法の支配」へと移行したのも、
みな「敵対意識」が弱まったおかげだ。

中国では最も進歩が遅い政治分野でも、敵対意識の弱まりによって、社
会の多元化もあり、政府の包容性は増した。政治的思想が異なる者への
迫害も大幅に弱まり、1989年の民主化運動への評価も、「扇動された動
乱」から「政治的動揺(政治風波)」へと変わった。

敵対意識の弱まりは、政府にも人権の普遍性を、ゆっくりではあったが
受容させた。1998年に中国政府が国連の2大国際人権条約への署名を世界
に約束したことは、中国が普遍的な人権基準を受けいれたことを示した
。2004年には全人代が憲法を改正。初めて「国家は人権を尊重し、保障
する」と明記され、人権が法治の基本的な原則の一つになったと示した。

その一方で現政権(当時の胡錦濤政権)は、「以人為本(編集部注:人
間本位)」「和諧社会(編集部注:調和の取れた社会)」といった中国
共産党の進歩を示す理念を唱えた。

このマクロレベルでの進歩は、逮捕されて以来、自分自身も経験として
認識できた。

私は自らの無罪を主張し、私を罪に問うことは違憲だと考えている。そ
れにもかかわらず、自由を失ったこの1年あまりの間に、私は2カ所での
勾留、公判前に4人の警察官の尋問と、3人の検察官、2人の裁判官(の聴
取)を経験した。

彼らには私を軽視する態度はなく、拘留期限も超過せず、自白を強制す
ることもなかった。彼らの平静かつ合理的な態度は、常に善意を示して
いた。6月23日、私は当局の監視下の住まいから、北京市公安局第一看守
所、通称「北看」に移された。北看での半年間で、私は拘置方法の進歩
を目の当たりにした。

私は1996年に旧北看(北京市宣武区半歩橋)で時を過ごしたことがある
が、10数年前と比べて現在の北看は、施設の設備や管理面で大幅に改善
されていた。

特に現在の北看の革新的で人道的な管理は、拘留者の権利と尊厳を尊重
し、拘留者に対して柔和な対応をするものだ。それは「温声放送(北看
内での音声放送)」や雑誌「悔悟」、食事前や睡眠時間の前後に流れる
音楽にも表れ、こうした管理は勾留された人に尊厳と温かさを感じさせ
、秩序を維持しようする意識を刺激する。

勾留された人に人間的な生活環境を与えるだけではなく、訴訟環境を和
らげた。

私は、私の監房を管理していた劉崢刑務員と親密な間柄だった。拘留者
に対する彼の尊敬と気遣いの念は、管理のあらゆる細部に現れ、彼のあ
らゆる言葉や行動にもにじみ出ているように感じた。誠実で、正直で、
責任感があり、親切な劉刑務員と知り合ったことは、北看での幸運の一
つだった。

私の政治的信条は、このような信念と経験に基づいている。すなわち、
中国の政治的進歩は決して止まらないと堅く信じており、いつの日か自
由な中国が生まれることへの楽観的な期待に満ちあふれている。いかな
る力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上
とする法治国家になるはずだ。こうした進歩が、本件の審理にも体現さ
れ、法廷が公正な裁決、歴史の検証に耐えうる裁決を下すと期待してい
る。

もし過去20年間で最も幸せな経験を語るとするならば、妻の劉霞の無私
の愛を得たことだ。彼女は今日この裁判を傍聴できないが、しかしそれ
でも私は君に伝えたい。私の愛する人よ、君の私への愛が、いつまでも
変わらないことを確信していると。

何年もの長い間、自由のない暮らしの中で、私たちの愛は外部環境によ
って苦難を強いられてきたが、思い返せば際限がない。私は有形の監獄
で服役し、君は無形の心の獄中で待ち続ける。君の愛は太陽の光だ。牢
獄の高い壁を飛び越え、鉄格子を通り抜ける。私の肌を撫でて、細胞を
温め、心の平穏と純潔、明晰さを終始保たせ、獄中の全ての時間を意義
あるもので満たしてくれる。

一方で、君への私の愛は痛みと苦しさでいっぱいで、時としてそのあま
りの重さによろめいてしまう。私は荒野の石ころで、暴風雨に打たれる
がままだ。冷たく、誰も触ろうとはしない。しかし私の愛は堅く、鋭く
、いかなる障害をも貫くことができる。たとえ粉々に打ち砕かれても、
私は灰となって君を抱きしめる。

愛する人よ。君の愛があるからこそ、私は来るべき審判に平然と向き合
って、自分の選択を悔やまず楽観して明日を待つことができるのだ。

私は望んでいる。私の国が表現の自由がある場所となることを。全ての
国民の発言が同等に扱われるようになることを。

そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、平
和的に共存できる。多数意見と少数意見が平等に保障され、特に権力者
と異なる政治的見解も、十分に尊重され、保護される。ここではあらゆ
る政治的見解が太陽の光の下で民衆に選ばれ、全ての国民が何も恐れず
、政治的意見を発表し、異なる見解によって迫害を受けたりしない。

私は望んでいる。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄(編集部注:
言論弾圧のこと)」の最後の犠牲者となることを。そして今後、言論を
理由に罪に問われる人が二度と現れないことを。

表現の自由は人権の基礎であり、人間性の根源、真理の母である。言論
の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間らしさを閉じ込め、
真理を抑圧することなのだ。

憲法によって付与された言論の自由を実践するためには、公民としての
社会的責任を果たさねばならない。私がしてきたあらゆることは罪では
ない。たとえ罪に問われても、恨みはない。

皆さんに感謝を。

——

授賞式では、空席の受賞者席の上に受賞証書とメダルが置かれた。空席
のイスは、劉氏が置かれた境遇を、雄弁に物語っているかのようだった。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/13/liu-xiaobo-final-statement_n_17478148.html

         ☆—————————————-☆

劉暁波

劉 暁波(りゅう ぎょうは、リウ・シャオポー、1955年12月28日 – 201
7年7月13日)は、中華人民共和国の著作家。元北京師範大学文学部講師
。人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄された。

[人物]

吉林省の長春市で生まれる。1969年、上山下郷運動が行われている間、
劉の父は、劉をホルチン右翼前旗に連れて行った。吉林大学で中国文学
を学んだあと、北京師範大学に進学。1984年に修士号取得後、同校で教
職に就く。

1980年代半ば、文学評論家李沢厚に対する批判で、中国文壇の「ダーク
ホース」と呼ばれた。

1988年、「美学と人間的自由」により、同校で文学博士号取得。その後
、オスロ大学、ハワイ大学、コロンビア大学で客員研究員。

1989年に中国で民主化運動が勃発すると、コロンビア大学の客員研究者
として米国滞在中に即座に帰国を決め、運動に身を投じる。六四天安門
事件直前、劉は他の知識人3名(侯徳健、高新、周舵)と共に、学生たち
の断食抗議に参加した。

人民解放軍が天安門広場に突入する寸前、4人は侯徳健を推選し、学生た
ちに逃げ道を残すように軍と交渉し「四君子」と呼ばれた。事件後に「
反革命罪」で投獄された。六四天安門事件の他のリーダーの多くが欧米
からの圧力もあり「病気療養」の名目で出国許可される中で、1991年の
釈放後も出国せずに引き続き文章を発表し、六四天安門事件の殉難者の
名誉回復と人権保障などの民主化を呼びかけ、更に2度の投獄や強制労働
を受けた。

2008年、「世界人権宣言」発表60周年を画期として発表された、中国の
大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、再び中国当局
に身柄を拘束された。以後は外国要人訪中や人民代表大会会期中は自由
を失い、電話・インターネットによる交信が遮断された。

2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥
奪2年の判決が下され、4度目の投獄となり遼寧省錦州市の錦州監獄で服
役した。

2010年にノーベル平和賞を受賞し、中国在住の中国人として初のノーベ
ル賞受賞者となった。劉暁波は、「この受賞は天安門事件で犠牲になっ
た人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流したとされる。なお、投
獄中の人物に平和賞が贈られたのは、1935年に受賞したカール・フォン
・オシエツキー、1991年に受賞したアウンサンスーチー(ただし、監獄
ではなく自宅軟禁)以来、3人目である。

2017年5月末に末期の肝臓がんと診断され、家族らが仮出所を申請し認め
られたため6月末に仮出所した。その後は中国医科大付属第一医院(中国
語版)に入院し闘病生活を送り、国際社会からは劉を国外に移送し治療
すべきとの声が香港で高まり、ドイツやアメリカ合衆国も受け入れを表
明したが、中国の医療チームは容態を理由に拒否。7月10日、劉が危篤状
態に陥ったと報道され、中国標準時の7月13日午後5時35分、妻・劉霞な
ど、家族に看取られながら、肝臓がんによる多臓器不全のため死去。61
歳没。最期の言葉は、妻にかけた「あなたはしっかり生きなさい」「幸
せに暮らして」だったと伝えられている。

[ノーベル平和賞受賞]

[選考段階]

ノーベル平和賞の選考で劉が候補となった時点で、中国政府はノルウェ
ーのノーベル賞委員会に対して「劉暁波に(ノーベル平和賞を)授与す
れば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と述べ、選考への圧力
と報道された。

[受賞]

2010年10月8日、劉暁波のノーベル平和賞受賞が発表された。ノーベル賞
委員会は、劉暁波の受賞理由は「中国における基本的人権のために長年
、非暴力的な闘いをしてきた」ことで、劉暁波への授与の決定は有罪確
定時の同年2月には「不可避の状況になっていた」こと、選考は全会一致
であったことなどを発表した。

[受賞後の影響・反響]

[各国での反応]

受賞直後の各国での主な反応には以下がある。

前年度のノーベル平和賞受賞者でもあるアメリカ合衆国大統領のバラク
・オバマは「劉暁波は、民主主義という万国共通の価値を平和的に推進
する勇気あるスポークスマン」「基本的人権は何よりも尊重されるべき
」と発言し、劉暁波を釈放するよう中華人民共和国政府に要求する姿勢
を示した。国際連合事務総長の潘基文は「人権向上の実践を求める国際
世論の高まりを示すもの」と劉暁波の受賞を評価した。

欧州連合のバローゾ欧州委員長は「ノーベル賞委員会の決定は、個人的
な犠牲を伴って自由と人権を追求するすべての人々を支持する強いメッ
セージだ」との声明を出した。
フランス外務大臣のベルナール・クシュネルは「フランスはEUと同様に
逮捕直後から懸念を表明し、繰り返し釈放を求めてきた」と声明を出し
た。

1989年のノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ14世は「ふさわし
い時に、ふさわしい人が選ばれた。劉氏の後ろには数千人の市民がおり
、中国の変化に大きく寄与するだろう」、「中国は変わらなければなら
ない。」と声明を出した。

アメリカ合衆国亡命中の中国人反体制物理学者の方励之は「彼(劉暁波
)の受賞は、中国の民主化に積極的な役割を果たすものと思う」旨のコ
メントを発表した。

日本の菅直人首相は参院予算委員会で「中国において普遍的価値である
人権と基本的自由が保障されることが重要」「釈放されることが望まし
い」と述べた。

[中国政府による抗議と対抗措置]

受賞発表直後に中華人民共和国外交部は「(劉の受賞は)ノーベル平和
賞を冒涜するもので、我が国とノルウェーの関係に損害をもたらす」と
批判した。更に中華人民共和国政府は在北京のノルウェー特命全権大使
に対して劉のノーベル平和賞受賞に強く抗議を行った。

また中華人民共和国の国内でノーベル平和賞授与決定を放映中のCNNやN
HKワールドのニュース番組が遮断され、その後もインターネット上のメ
ールや検索などの遮断が続いていると報道された。翌9日、中国各誌は授
与を批判する中華人民共和国外交部報道局長の談話を報道する形で間接
的に報道し、人民日報系の環球時報は「ノーベル平和賞は西側の利益の
政治的な道具になった。平和賞を利用して中国社会を裂こうとしている
」と批判した。

受賞直後、海外メディアが自宅に住む妻劉霞にインタビューを試みたが
、現地公安当局によって厳しく規制線がはられており、劉霞自身も電話
インタビューに応じた直後、電話回線が通じなくなっており、事実上当
局による軟禁状態にある。

また世界各国での受賞への賛同意見に対し中国外交部は定例会見で「中
国への内政干渉は許さない」、「現状で、中国の関係部門がノルウェー
政府との協力推進を望まないことは理解できる」、「劉暁波は犯罪者だ
。彼に平和賞を与えることは中国国内で犯罪を奨励することにほかなら
ず、中国への主権侵害でもある」と主張した。

2010年10月21日には劉暁波の釈放を求める署名活動を行っていた崔衛平
北京電影学院教授が拘束された。

10月29日には、ノーベル賞の歴代受賞者により服役中の劉暁波の釈放を
求めるグループが結成されダライ・ラマなどが参加していると報道され
た。

英国デーリー・ニューズ紙によると、2010年に開催された第60回ミス・
ワールド大会では、開催国である中華人民共和国側から選考委員に対し
て「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるよう」との露骨な圧力がかけら
れ、本命だったミス・ノルウェーのマリアン・バークダルは、5位にも入
ることができなかった。これはノルウェーが中国の民主活動家である劉
暁波にノーベル平和賞を授与したことに対する対抗措置であるといわれ
ている。

[受賞式典への影響]

中国政府は2010年10月下旬以降、ノルウェーにある欧州各国の大使館に
対し、12月10日にオスロ市庁舎にて行われるノーベル平和賞授賞式の式
典に参加しないよう求める書簡を送った。さらに、式典当日に劉暁波を
支持する声明を発表しないように促した。また、北京にても諸外国の外
交官に対して、同じ要請をした。

授賞式当日は17か国が欠席した(中国・ロシア・カザフスタン・チュニジ
ア・サウジアラビア・パキスタン・イラク・イラン・ベトナム・アフガ
ニスタン・ベネズエラ・エジプト・スーダン・キューバ・モロッコ)。授
賞式当日には、中国政府は人権活動家のモンゴル族のハダを釈放したが
直後に拘留した。

「オスロの誓い」

劉にノーベル平和賞が授与されたのを機に、世界で活動している中国人
民主化活動家(民主中国陣線、中国民主団結連盟)、チベット独立派、ウ
イグル人独立運動家らがオスロに集結し、横の連携を誓う「オスロの誓
い」が公表された。各団体はこれまでに主導権争いなど内部対立の問題
を抱えることもあったが、オスロでの会談の結果、運動をまとめる展開
が見えたとした。

ニューヨーク在住の胡平(雑誌「北京の春」編集長)は「世界中に散って
いた私たちが一堂に会することができた。当面は力を合わせて『劉暁波
氏の釈放』を求めていくことで一致した」とし、またスイス在住のチベ
ット独立運動家ロブサン・シチタンも「これまでは中国人活動家とほと
んど関係なく活動してきたが、これからは一緒にやっていきたい」と語
り、ウイグル人独立ペンクラブ会長カイザー・ウーズンとともに中国人
活動家らとの連携を示した。

[解放要求]

[アメリカ議会下院]

2010年12月8日、アメリカ合衆国下院本会議は、劉暁波の釈放を中国政府
に要求する決議案を賛成402、反対1の圧倒的多数で採択した。

[ノルウェー・ノーベル賞委員会]

2010年12月10日に開かれたノーベル賞授賞式において、ノルウェー・ノ
ーベル賞委員会委員長のトルビョルン・ヤーグランは演説の中で「劉は
何も悪いことはしていない」と、釈放を求めた。

[経歴]

1955年12月28日: 吉林省長春市生まれ。
1969年 – 1973年: 両親と共に内モンゴル農村へ。
1974年7月: “知識青年”として吉林省農安県へ。
1976年11月: 長春市にて建築作業員。
1977年 – 1982年: 吉林大学文学部。1982年同校学士号取得。
1982年: 北京師範大学文学部修士課程入学、1984年同校文芸学修士号取
得。
1984年 – 1986年: 北京師範大学文学部で教鞭を取る。
1986年 – 1988年: 北京師範大学文学部博士課程を履修、1988年文芸学博
士号取得。
1988年8月 – 11月: ノルウェーのオスロ大学の要請を受け、中国現代文
学を教える。
1988年12月 – 1989年2月: 米国ハワイ大学の要請を受け、中国哲学、中
国現代政治と知識人のをテーマに研究と授業。
1989年3月 – 5月: 客員研究者として米国コロンビア大学へ。期間中に帰
国、六・四事件に参加。
1989年4月27日 – 6月4日: 民主化運動に参加。
1989年6月6日 – 1991年1月: 「反革命罪」で投獄される。
1989年9月: 全ての公職を失う。
1991年1月 – 1995年: 北京にて文筆活動、人権運動、民主運動に従事。
1995年5月18日 – 1996年1月: 再び入獄、釈放後民主化運動、文筆活動を
継続。
1996年10月8日 – 1999年10月7日: “労働教養”(中国特有の監禁刑罰)
に処せられる。釈放後、北京の自宅でフリーライターとして、大量の時
事評論や学術論文を発表する。
2003年11月: 独立中文筆会第二任会長に当選。
2005年11月2日: 引き続き独立中文筆会会長に当選留任。
2008年12月10日: 「零八憲章」の起草者となるも発表直前に身柄を拘束
される。
2009年6月23日: 「国家政権転覆扇動罪」などの容疑で北京市公安局に正
式に逮捕された(新華社通信報道)。
2009年12月: 11日に起訴され、25日に北京の第1中級人民法院で「国家政
権転覆扇動罪」により懲役11年の判決を言い渡された。
2010年2月11日: 北京の高級人民法院が劉の控訴を棄却し、懲役11年およ
び政治的権利はく奪2年の判決が確定。
2010年10月8日: 民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。

[受賞歴]

1990年・1996年 – 国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチによる人
権賞「ヘルマン・ハメット助成金」
2003年 – 中国民主教育基金会第17回「傑出民主人物賞」
2004年 – 「国境なき記者団」・フランス基金会の「言論の自由を守る賞
」、月刊誌『開放』2004年1月号「マスコミの腐敗は最早ニュースではな
い」で第9回「人権ニュース優秀賞」
2005年 – 月刊誌『開放』2004年9月号「権力者の天国、弱者の地獄」で
第10回「人権ニュース優秀賞」
2010年10月8日: 民主化と人権の促進への貢献でノーベル平和賞を受賞。

[劉暁波判決文(2009年12月25日)]

「告発、答弁、証言、判決」のうち、「判決」(抜粋)は以下のとおり。

判決

本法廷は、被告人劉暁波が我国の人民民主独裁による国家政権と社会主
義制度の転覆を目的として、インターネットは情報伝達が速く、伝播の
範囲が広く、社会的影響力が大きく、大衆の注目度が高いという特徴を
利用し、文章を執筆してインターネット上に発表するという方法により
、我国の国家政権と社会主義制度を転覆するよう他者を誹謗かつ扇動し
、その行為は国家政権転覆扇動罪にあたると考える。(略)。重大な罪
を犯した犯罪者として、法律に基づいて厳重に処罰されなければならな
い。(略)。インターネット上に誹謗中傷を行う文章を発表したことは
、我国の国家政権と社会主義制度の転覆を扇動する行為であり、劉暁波
の行為は言論の自由という範疇を明らかに超えたもので、犯罪である。
(略)。(略)有期懲役11年、政治的権利剥奪2年に処する((略)202
0年6月21日までの期間)。(略)。

[思想と主張]

[陳述「私に敵はいない」]

<中略>

[その他の主張]

1996年に発表した論文「冷戦からの教訓」の中で、「アメリカ合衆国を
盟主とする自由主義陣営は、人権を踏み躙るほぼ全ての政権と闘ってき
た。アメリカが関わった大きな戦争は、おしなべて倫理的に擁護できる
」と結論付けるなど、親米的な姿勢が顕著である。パレスチナ問題でも
アメリカの政策を支持しており、諸悪の根源は「挑発的な」パレスチナ
人にあるとしている。

また、2004年に刊行した著書「アングロアメリカ自由同盟に勝利を」で
も、当時のブッシュ政権によるイラク戦争を支持。同書の中で劉は、冷
戦以後アメリカが主導した戦争を「如何にして現代文明に適する形で戦
争を行うべきかを示した好例」として褒め称え、「イラクには自由で民
主的かつ平和な社会が出現するであろう」とした。<以下略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉暁波の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「盆踊り」

夏のイベントが23日の日曜日に!

ニューヨーク本願寺仏教会主催の盆踊り大会がマンハッタンのブライア
ントパークで開催、今年で68回目。

浴衣姿にスニーカーという外国人も盆踊りに参加するので、毎年この日
を楽しみにWalterさんはベイサイドから高速バスに乗ってマンハッタン
にいらっしゃいます。

日本のように出店はありませんが今回は折り紙のブースが出店予定です。

     keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

旭川では昨日から上川神社祭が行われています。一体、どこからこんな
に人が集まるのかと思うほど若者で溢れています。・・・その伝統ある
上川神社祭も来年は廃止になるのではないかという実しやかな噂が流れ
ています。何とか残して欲しいものです。

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

■今号はいかがでしたか?
驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ!
⇒ http://clap.mag2.com/sloulaiphu/input

=================================

☆お勧めの「無料レポート」大公開☆

◆先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」part1◆
※今まで、メルマガでご紹介したvol.創刊号1~vol.50までの「名言」
を素敵な「名言集」に仕上げてレポートにしました。
⇒ http://maxim.no1wizard.com/page-34

=================================

編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ここまでお読み頂きありがとうございます。
皆さまからのご意見・ご感想をお待ちしています。

豊かで、より良き人生を共に歩んで行くことが出来ますように!

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■発行者 ≫ 宮口栄治
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