先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」

驚くほど役に立つ「名言集」では、世界の名言・金言・格言・故事・ことわざをご紹介します。

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私から闘いを取ったら何が残るといえよう・・・ / 加藤一二三

      2017/08/03

2017.07.07-Vol.0792
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■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■
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★今日の名言★
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 私から闘いを取ったら何が残るといえよう。

  勝負師である限り、

   命が尽きるまで勝負に明け暮れるのが棋士のさだめだ。

              <加藤一二三>

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◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇

勝負(しょうぶ)・・・

(1)かちまけ。勝敗。
(2)争ってかちまけを決すること。
(3)ばくちをすること。かけごとをすること。

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※喫煙室(雑談コーナー)

親しみのある独特の風貌と特異な語り口で親しまれてきた「ひふみん」
こと、将棋の加藤一二三氏が引退した。

史上最年少(14歳)でプロ入りし、公式戦29連勝というとてつもない快
挙を成し遂げ30年ぶりに記録を塗り替えた藤井聡太四段。

最初に対戦した相手が、「神武以来の天才」の異名を持つ加藤一二三 
九段である。

藤井聡太四段の語録に次のような一説がある。

★印象に残る一局を聞かれて・・・

「やっぱり苦しくしてしまった将棋の方を覚えています。大橋(貴洸四
段)さんとの新人王戦、小林(裕士七段)先生との王将戦・・・。相当
悪くしてしまいましたから。あと、やはり加藤(一二三九段)先生との
初戦です。1秒も読んでいない手を強い手つきで指されて相当ビックリ
しました。」

最年長プロ棋士である加藤一二三九段から学ぶものは大きかったようで
ある。

藤井四段は残念ながら、若手のホープ佐々木勇気五段に惜しくも30連勝
を嫉まれてしまったが、それまでの記録保持者が加藤九段だったのだ。

後のWikiに詳しいが、加藤一二三という人物の残した遺産はとてつもな
く大きなものであることに疑いの余地はない。

普段の柔和な表情からは想像もつかないほど多くの戦いの修羅場をくぐ
り抜け、ここぞという時には鋭い眼光で相手を睨み付け、驚くほど気迫
のこもった大きな駒音で相手を威嚇する。

プロの厳しさとはこういうものだということを身をもって藤井四段に教
えていたように思えてならない。

数々の偉業を成し遂げてきた天才の今後に期待したい。

本当に長い間お疲れさまでした。

         ☆—————————————-☆

加藤一二三

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 – )は、日本の将棋棋士。

実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋
士番号は64。2017年6月20日に引退。仙台白百合女子大学客員教授(2017
年6月23日 – )。福岡県嘉麻市名誉市民。ワタナベエンターテインメント
所属。

戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「1分将棋の神様」・「神
武以来(じんむこのかた)の天才」の異名を持つ。

[略歴]

最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続
年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代、1960年代、
1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に
在籍したことがある唯一の棋士である(他には大山康晴が1940年代から
1990年代までA級在籍。6つの十年紀でのA級在籍はこの二人のみ)。

14歳7ヶ月で史上初の中学生棋士になった。この記録は2016年に藤井聡太
(14歳2ヶ月)に破られるまで62年に渡り守られた最年少記録である。デ
ビュー後4年連続で昇級をして18歳でA級八段という記録は60年近く経っ
た今もなお破られていない。

19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した
、史上唯一の棋士である。

また、加藤自らを除く、全ての実力制名人と対局経験がある(加藤が引
退した2017年6月20日までの、木村義雄 – 佐藤天彦の12名。うち、木村
義雄は加藤が四段になる前の1952年に引退したが、1953年12月に奨励会
三段時代の加藤と角落ちでの特別対局(京都新聞主催)、1958年にA級八
段になった加藤と平手での特別対局(静岡新聞主催)を行っている)。

大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖を相手に、
それぞれ100回以上対局している(百番指し)。

[人物]

1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)生まれ。カトリック
教徒であり、1986年に聖シルベストロ教皇騎士団勲章受章。紫綬褒章受
章(2000年)。嘉麻市名誉市民(2016年)。

京都府立木津高等学校卒業、早稲田大学中退。青年棋士時代、他の棋士
からの愛称は「一二三」の「一」の中国語読みにちなむ「ピンさん」で
あり、加藤はこの愛称を気に入っていた。2017年現在、幅広い層から「
ひふみん」の愛称で親しまれている。また自身の洗礼名にちなんだ「パ
ウロ先生」という愛称もある。

盤上・盤外においての独特なこだわり、その強烈な個性と言動は老いて
なお話題を振りまく棋士であり、数多くの逸話(伝説)を残し続けてい
る。

[戦績]

[神武以来の天才]

1954年に当時の史上最年少棋士・史上初の中学生棋士となる。ただし、
加藤がプロ入りした時の反響はさほどではなかった。

1957年1月24日、高松宮賞争奪選手権戦で優勝。17歳0ヶ月での優勝は、
新人棋戦を除く公式戦に於ける史上最年少記録である。さらに、順位戦
ではデビューから4年連続昇級して18歳でA級八段となる偉業を成し遂げ
、「神武以来(このかた)の天才」と呼ばれ、大きな反響があった。

(A級への昇級・八段への昇段を決めたのは1958年2月27日、京都府立木
津高等学校3年在学中。当時の規定により、八段への昇段は1958年4月1日
付) A級順位戦の1年目は負け越したが、2年目(1959年度)で第19期名
人戦(1960年)の挑戦権を得、20歳でタイトル初挑戦。七番勝負は大山
康晴名人に1勝4敗で敗れた。

[タイトル戦での大山・中原との対決]

1960年代は、上記の名人戦を含めタイトル戦に7回登場したが、相手は
いずれも大山であった。当時は大山の全盛期であり、毎年全部ないしは
ほとんどのタイトルを大山が占めていた。しかし、6度目のタイトル挑
戦となった1968年度の第7期十段戦において、大山十段(名人を含む四
冠)をフルセットの接戦の末に破り、プロ15年目にして、ついに初のタ
イトル獲得を果たした。

1970年代から1982年にかけては、一転して中原誠との対決の時代となる
(将棋界が「大山時代」から「中原時代」に移行したことも意味する)。

中原との対戦成績は一時1勝19敗という大差であったが、本人は特に苦
手意識はなかったという。この期間、タイトル戦に14回登場したが、そ
のうち中原との対決は9回にも上った。当初は、1973年度の名人戦、お
よび、1976年度・1977年度の十段戦で、中原の前に3回連続で敗退した。

ところが、1977年度の第3期棋王戦では、前年に大内延介から奪った棋
王位を、中原五冠王を相手に3-0のストレートで防衛し、六冠独占を阻
止した。1978年度の王将戦では中原から王将位を奪取し、(直後に棋王
戦で米長邦雄に敗れるまでの束の間ではあるが)自身初の二冠王となっ
た。1980年度の十段戦では中原から4-1で奪取、翌年度も米長を相手に
防衛を果たす。

[名人獲得とその後のタイトル戦]

3度目の挑戦となった1982年の第40期名人戦では中原に挑戦、4勝3敗・
1持将棋・2千日手(実質十番勝負)という名人戦史上に残る空前の名勝
負の末、初挑戦から苦節22年、念願の名人位を初めて手中にした。また
、十段と合わせ自身2度目の二冠制覇でもあった。

中原とのタイトル戦での対決は、中原が5回、加藤が4回獲得という結果
であり、全盛期の中原に対して大善戦した。1983年以降、両者はタイト
ル戦で相まみえることはなかった。

その後は、1984年度の第25期王位戦で高橋道雄から奪取するが、翌年に
高橋に奪回され、以降、タイトル戦の舞台に登場していない。一般棋戦
の優勝は1993年度のNHK杯将棋トーナメントが最後である。なお、この
優勝により、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代の各
年代で一般棋戦優勝を達成。5つの十年紀での一般棋戦優勝は、中原誠
・谷川浩司らを上回る史上1位の記録である。

[順位戦]

A級在籍期数(名人在位を含む)は通算36期であり、大山が44期、中原
が29期であることを考えれば、非常に多いことがわかる。しかし、大山
と中原が初のA級からの連続在籍であるのに対し、加藤の場合はA級とB
級1組の間の往復がある。A級への復帰を決めたB級1組順位戦の期は、第
16期(1961年度)、第21期(1966年度)、第23期(1968年度)、第51期
(1992年度)の4回(= 4往復)である。このうち最初の3往復は、A級陥
落から1期での即復帰である。

しかし、第62期(2003年度)で名人位経験者として史上初めてB級2組に
陥落が決定。以降は順位戦における成績が下り坂となる。 第65期(200
6年度)は最終戦までB級1組昇級争いに絡んだが、第66~67期(2007~2
008年度)に棋士人生で初となる降級点を2年連続で喫し、C級1組へ降級
する。加藤が順位戦のC級1組に在籍するのは、プロデビューから2年目の
1955年度以来、53期・54年ぶりである。

第68~70期(2009~2011年度)は、C級1組順位戦において降級点を回避
。この結果、2016年度まで順位戦在籍(現役続行)可能となった。しか
し、第71期(2012年度)以降は降級点を喫し続け、第72期(2013年度)
順位戦でC級2組への降級が決定。プロデビュー年度の1954年度以来、59
期・60年ぶりに在籍したC級2組でも第73~74期(2014~2015年度)と連
続して降級点を喫した。この間、第71期(2012年度)及び第74期(2015
年度)では全敗を喫した(名人経験者の順位戦全敗は非常に珍しい)。

名人経験者として順位戦のB級2組・C級1組・C級2組に陥落したのは史上
初である。また、2015年度には、順位戦を含め全棋戦で負け0勝20敗(2
014年度の岡崎洋六段戦から年度を2つまたぎ、2016年5月の中村修戦まで
23連敗)となり、A級経験者の年度全敗は、2013年の田丸昇九段(当時は
フリークラス在籍で0勝10敗)以来である。

[1,000勝と1,000敗]

1989年8月21日、大山に次いで史上2人目の通算1,000勝(特別将棋栄誉賞
)を達成。さらに勝ち星を重ね、2001年には史上3人目の通算1,200勝達
成。棋士会において、自身が九段昇段後の1,000勝を達成したことを示し
、(タイトル称号の「十段」ではなく)段位としての「十段」の新設を
提案した。

2011年11月1日、史上3人目の1,300勝を達成。2012年7月26日、通算勝数
歴代2位の中原誠に並ぶ1,308勝を達成。2013年2月15日、東京・将棋会館
で行われた王将戦1次予選で藤森哲也四段に勝ったため、公式戦通算成績
が1,309勝(1,098敗)となり、通算勝数が歴代単独2位になった。

一方、2007年8月22日の朝日杯将棋オープン戦予選、戸辺誠(当時四段)
との対局において、史上初の通算1,000敗を記録する(1,261勝1,000敗)
。これは、加藤のキャリアの長さもさることながら、トーナメント戦(1
敗すれば終わり)以外の対局、すなわち、タイトル戦の番勝負や挑戦者
決定リーグ戦に数多く登場したことをも表す。なお、本人はテレビでこ
の話題に触れられた際、「150局くらいは逆転負けでした」と述べている
。ちなみに、同日時点での通算敗数の史上2位は、有吉道夫九段の955敗
(1,061勝)であり、その後、有吉も通算1,000敗を記録した。2013年3月
12日の第71期名人戦・順位戦C級1組10回戦、阿部健治郎五段との対局に
おいて、通算1,100敗を記録した。(1,309勝1,100敗)

[現役最晩年]

2015年3月11日の棋王戦予選3回戦で増田康宏(当時17歳4ヶ月)と対局し
勝利。75歳の加藤との年齢差58歳は、年長棋士側から見た史上最多年齢
差勝利となった。この勝利の後、上記の2015年度全敗を含む23連敗のト
ンネルに入る。

2016年度の第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦(2016年12月24日)では
、加藤が持っていた史上最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更
新し、14歳2か月でプロ棋士(四段)となった藤井聡太のデビュー戦の相
手となった(結果は110手で藤井の勝ち)。これは公式戦で最も離れた年
齢差(62歳6か月)の対局となった。

また、加藤は、19世紀(村上真一と野村慶虎の2名)、20世紀(その他多
数)、21世紀(藤井聡太)の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局し
た記録を樹立した。藤井(2002年生まれ)は21世紀生まれの最初の棋士
である。そして、2014年(藤井がプロ棋士になる2年前)の時点で、19世
紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった。 よっ
て、加藤のこの記録は史上唯一のものとなる。

2017年1月3日に丸田祐三が持っていた最高齢現役棋士記録(77歳+1日)
を、1月12日に同じく丸田が持っていた最高齢対局記録(76歳11ヶ月)を
、それぞれ更新した。一方で順位戦C級2組では、3回戦で八代弥(当時2
2歳5ヶ月)に勝利したものの、他の対局で敗戦が続き、8回戦終了時点で
1勝7敗の成績(1回戦は抜け番)。

この時点で、加藤が降級点を回避できる条件は、残りの2局を加藤が連勝
し、同時点で2勝しかしていない棋士のうち7人が全敗をすることだった。

1月19日、当該7人の1人である竹内雄悟が佐藤慎一に勝利したことで、降
級点回避条件を満たせなくなり、フリークラス規定による加藤の引退が
決定した。名人経験者が規定で引退することになったのは史上初である。

引退が決定した翌日の1月20日の第88期棋聖戦二次予選・対飯島栄治戦(
この時点で順位戦B級1組、竜王戦2組)にて現役最後となる勝ち星をあげ
、丸田祐三が持っていた最高齢勝利記録(76歳11ケ月)を更新(77歳0ケ
月)した。

そして、同年2月8日には同じく棋聖戦二次予選で、現役の名人と引退直
前の棋士という極めて珍しい組み合わせとなり佐藤天彦名人と対戦した
が、この対戦で加藤は本人を除く実力制の全名人経験者と対戦すること
となった。

同年6月20日の竜王戦6組昇級者決定戦で高野智史に敗れ、この日をもっ
て現役引退となった。

20日の対戦直後は心の整理が付きかねたのか、対局後は引き留める連盟
幹部や記者を振り払うようにして、無言でタクシーに乗り込み、会館を
後にした。その後、加藤はツイッターを通じ、「天職である将棋に、生
涯を懸け全身全霊を傾け打ち込むことができました。幸せな棋士人生を
ありがとうございました」とコメントした。

6月30日に、東京・将棋会館で引退に際しての記者会見を行った。記者会
見に参加した報道機関は、40社・100名に及んだ。

1954年8月1日に四段となってからの現役勤続年数(62年10ケ月)は、大
山康晴(1940年四段 – 1992年に順位戦A級在籍のまま死去)、内藤國雄
(1958年四段-2015年引退)、有吉道夫(1955年四段-2010年引退)、
丸田祐三(戦争によるブランクもあり、1946年に27歳で四段 – 1996年引
退)、関根茂(1953年四段 – 2002年引退)らを抑えて歴代1位である。

[棋士引退後]

2017年6月23日に仙台白百合女子大学客員教授に就任(次女が同大カトリ
ック研究所所長)。

2017年7月1日にワタナベエンターテインメントとマネジメント契約を結
んだ。

[棋風]

半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に
貢献してきた。また、よいと思った戦型はひたすら採用し続けるため、
「重戦車」の異名を持つ。

羽生善治は「作戦が立てやすいことは立てやすいが、100%同じ戦法で来
るとなると不気味でもある。一つの戦法を突き詰めていくのも一つの生
き方だし、一局一局が確実に次への知識になる。悪いことばかりでもな
いようだが、作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると現実
にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられない
ようだ」と書いている(羽生善治「羽生善治 好機の視点」小学館文庫、
初出は月刊将棋マガジン)。

特に「加藤棒銀」と呼ばれるほど棒銀戦法の採用率が高いことが有名で
、四間飛車に対して居飛車穴熊が流行してもなお、棒銀で挑み続けてい
る。また、相居飛車の一つである角換わりの将棋においても、棒銀を採
用する傾向にある(一般的には棒銀よりも腰掛け銀を採用する棋士が多
い)。また、矢倉▲3七銀戦法や、中飛車に対する袖飛車からの急戦は「
加藤流」と呼ばれ、多くの棋士が採用している。

対振り飛車戦の居飛車では、特に大山康晴との戦いの経験を生かして作
り上げた居飛車舟囲い急戦の各種の定跡において、加藤の創案が多い。
対三間飛車急戦も、加藤の創案した仕掛けが多い。基本的に振り飛車に
は急戦で立ち向かうが、1980年に居飛車穴熊を主に対大山戦で数局ほど
採用したことがある。

ひねり飛車や横歩取り3三桂のような空中戦も得意としており、後者は一
時期後手番でも採用したことがある。さらにその後は、後手番では矢倉
中飛車を多用した。

一流として必要なことは何かと問われ、「行き詰まりを打開する」こと
と答えている。(2017年7月2日 NHKBS1”語り亭”にて)自身も三十代
の時に行き詰まりを経験したが、「精神的な力を得て」それを克服する
ことでその後に繋がったと答えている。

長考派・1分将棋の神様

<中略>

好きな駒は銀

<後略>

        フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤一二三の本
自己啓発書のベストセラー

         ☆—————————————-☆

★☆「keiko通信 from NewYork」☆★

「独立記念日」

独立記念日を祝う花火大会を楽しみにしているニューヨーカー。

メーシーズデパートが主催するので、デパートのある43丁目を中心に
イーストリバーの24丁目から41丁目間で半時間に6万発が打ちあげられ
夜空を彩ります。

今年は独立記念日が火曜日だったため4連休になったところが多く、バ
ーベキューパーティーをする人たちは食料品店でカートに山盛りの買物。
覚悟のうえで順番を待ちます。

                  keiko

★ちょっと一言!

※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。

九州ではまれにみる豪雨のために44万人に避難指示が出され、今なお行
方不明者が出ているようです。不明者の一刻も早い救助が望まれます。
まだまだ危険な状況が続いています。兎に角、命が大事です。
くれぐれも危険な場所には近寄らないようにしてください。

★皆さんのメールが何よりの励ましです。
出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。
当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて
いただければ実名を出すことはありません。

まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう!

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編集後記+++++++++++++++++++++++++++++

世の中には人間の一生をも左右してしまうような、心の底から魂を揺さぶら
れるような素晴らしい金言や格言が数多くあります。
あなたも辛い時や悲しい時、何気ない一言で勇気づけられた経験はないだろ
うか?

仕事をしながらメルマガを発行しようと決意したのは、そういう名言の数々
を一人でも多くの方々に紹介したいと思ったからです。
今までの仕事だけの人生に物足りなさを感じていたということもあります。

「生きることとは自分自身を表現することである!」と言ったのは誰だった
ろう?自分自身を表現することにより、ほんの少しでも周りの人たちを幸せ
にするお手伝いが出来れば望外の幸せです。

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